Sunday, April 29, 2012

II.A.14.世界版SPEEDI試算未公表問題―責任を押し付けあう


(時事ドットコム)「ヨウ素10兆ベクレル」未公表=世界版SPEEDI試算-文科省、安全委連携不足(2012/04/03-12:49)http://www.jiji.com/jc/zc?k=201204/2012040300430 (2012年4月29日閲覧)(全文転載)

 東京電力福島第1原発事故で、昨年3月15日、放射性物質の拡散予測データ「世界版SPEEDI」の試算結果で、千葉市内で計測されたヨウ素を基に推計 した同原発からの放出量が毎時10兆ベクレルという高い値が出ていたにもかかわらず、文部科学省と原子力安全委員会の間で十分な連携が取られず、現在も公表されていないことが3日、分かった。

 文科省や安全委によると、世界版SPEEDIは放出される放射性物質の拡散状況を半地球規模で予測するシステム。日本原子力研究開発機構が同システムを運用しており、昨年3月も文科省の依頼を受け、試算を行っていた。

 それによると、昨年3月14日午後9時ごろに福島第1原発から放出されたヨウ素の量は毎時10兆ベクレル、セシウム134、137もそれぞれ同1兆ベクレルと推計された。

  この試算データの評価について、文科省は安全委の担当と判断し、同16日に安全委へデータを送るよう同機構に指示した。同機構はメールに添付して送信した が、安全委は重要情報と認識せず、放置したという。同様にデータを受け取っていた文科省も、安全委に公表するよう連絡しなかった。(2012/04 /03-12:49)

(転載終わり)

(東京新聞)世界版SPEEDI 「全部公表」データに穴 (2012年4月3日) http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012040302000142.html (2012年4月29日閲覧)(全文転載)

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 東京電力福島第一原発事故の際、文部科学省の依頼で日本原子力研究開発機構(原子力機構)が放射性物質の拡散を予測した「世界版 (W)SPEEDI(スピーディ)」の試算結果の一部が、一年以上たった今も公開されていないことが分かった。緊急時に原発周辺への拡散を予測する国内版 の「SPEEDI」と同様に公表対象だが、試算結果が原子力安全委員会に送られたため、依頼主の文科省と安全委のどちらが公表するか宙に浮いたままになっ ている。

 未公表となっているのは、東日本大震災から五日目の昨年三月十五日に行われた試算結果。本紙が独自に入手した原子力機構の説明書によると、千葉市で観測された放射性物質の濃度を基に、WSPEEDIを使い一時間当たりの放出量を推定した。

 試算によると、千葉で観測された放射性物質は三月十四日午後九時ごろに放出され、濃度はヨウ素が毎時一〇テラベクレル(一テラは一兆)だった。十五日朝に房総半島まで広がったとみられる。原子力機構は添付文書に「計算の精度は比較的高い」と記している。

 濃度はピーク時の千分の一程度だった。

 文科省によると、この試算の翌日の十六日に官邸で放射線モニタリングに関する省庁間の協議があり、測定値の評価は安全委が担当することに決まっ た。WSPEEDIなどへの言及はなかったが、同省はそれらの運用も安全委の担当になったと解釈。試算結果を同省でなく、安全委に送るよう原子力機構に指 示した。

 原子力機構は、その日のうちにメールで安全委に送付。しかし、文科省と安全委の間の連絡が不十分で、昨年五月に文科省がWSPEEDIの試算結果をホームページで公表した際は、双方ともこの試算結果の存在に気付かなかったという。

 安全委は当初、本紙の取材に「結果は届いていない」と回答したが、その後、担当者のパソコンに届いていたことが分かった。

 政府は結果を公表する方針だが、文科省、安全委とも「自らが発表する立場ではない」と主張。互いに公表の責任を押しつけ合う事態になっている。

 放射性物質の拡散予測をめぐっては、文科省などが事故直後からSPEEDIで試算を重ねながら結果を公表せず、批判を招いた。昨年五月に政府は全面公開を表明。文科省はWSPEEDIの結果もSPEEDIに準じて、すべて公表したと説明していた。

 政府はSPEEDIについて「計算条件を設定した機関が公表する」としており、これに従えば文科省が公表することになる。

(転載終わり)

(東京新聞)世界版拡散予測 未公表さらに1500枚(2012年4月28日 夕刊) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012042802000234.html (2012年4月29日閲覧)(全文転載)

 東京電力福島第一原発事故の際、広範囲の放射性物質拡散を予測する「世界版(W)SPEEDI(スピーディ)」の試算結果に公表漏れがあった問題 で、さらに千五百枚近い拡散予測図が未公表になっていたことが分かった。WSPEEDIを運用する日本原子力研究開発機構(原子力機構)から、原子力安全 委員会と文部科学省に同時に送られていたが、両者の間で十分な連携が取られず、宙に浮いた形になっていた。

 安全委は二十七日深夜、ホームページ(HP)に未公表分をすべて掲載した。

 公表されたのは、昨年三月十六日から四月八日にかけて福島第一から毎時一~五ベクレルの放射性物質が放出されたと仮定した放射性物質拡散の予測図などで計千四百六十四枚。

 安全委は「事故でのWSPEEDIの活用は文科省の指示で始まった」とし、予測図は本来は文科省が公表すべきものだと主張してきた。今回の公表について「事故時の放射性物質の総放出量推定で予測図の一部を活用した経緯もあり、この推定の説明性をさらに高めるための資料として公表に踏み切った」とし ている。

 原子力機構は、事故後の昨年三月十四日からWSPEEDIの運用を開始。当初は文科省の依頼を受けて試算を続けていたが、同省は二日後の十六日、 省庁間の仕分けで、放射線モニタリングの評価は安全委の担当になったとして、試算結果を安全委に送るよう原子力機構に指示した。

 これを受けて、原子力機構は十六日以降、試算した予測図を安全委に送ったが、文科省にも送り続けた。

 安全委は文科省から一方的に予測図が送られ引き継ぎが不十分だったとも主張。経緯を示すため予測図とともに同省から安全委と原子力機構に送られた電子メールも公表した。

 WSPEEDIの予測図などは、国内版SPEEDIと異なり、政府としてすべて公表することは決めていなかった。ただ、文科省は全面公開したSPEEDIに準じる形で昨年五月、自ら原子力機構に試算を依頼した分を公表していた。

 大量の予測図が未公表になっていたことについて、文科省の担当者は「われわれが試算を依頼したものではなく、省としての公表対象には当たらない」としている。

<世界版SPEEDI(WSPEEDI)> 国内だけでなく世界の原発事故などによって放出される放射性物質の拡散状況を気象データなどを基に計算 して予測するシステム。旧ソ連チェルノブイリ原発事故を受け、日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)が1987年に開発に着手し、2009年に完 成した。100キロ~地球の半分程度まで広域に試算できる。SPEEDIの試算範囲は最大100キロ。

(転載終わり)

【一次資料】

原子力安全委員会 「東京電力福島第一原子力発電所事故に関するW-SPEEDIによる試算結果の公表について」(平成24年4月27日) http://www.nsc.go.jp/jaea_wspeedi/index.html (2012年4月29日閲覧)

文部科学省 原子力安全課 原子力防災ネットワーク  「WSPEEDIについて」 
http://www.bousai.ne.jp/vis/torikumi/030108.html (2012年4月29日閲覧)

【関連ブログ】

【Peace Philosophy Centre】4月中旬、NHKに一瞬映った 「WSPEEDI」 3月15日被ばく予測マップ→5月18日NHKから返信、4月4日のニュースと確認 (2011年5月16日) http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/blog-post_16.html (2012年4月25日閲覧)

Saturday, April 28, 2012

XIII.16.『脱原発をめざす首長会議』が発足(4月28日)

2012年4月28日、城南信用金庫本社で、 『脱原発をめざす首長会議』設立総会と記者会見が行われた。

以下、設立趣旨などをレイバーネットの「28日に『脱原発をめざす首長会議』設立総会&記者会見」のページから転載。http://www.labornetjp.org/news/2012/1335493991923staff01

本年1月、パシフィコ横浜で開催しました「脱原発世界会議」がきっかけとな
り、脱原発を目ざす首長のネットワークが結成されることになりました。
全国35都道府県の69名の市区町村長(うち元職6名)が会員参加を表明されてお
り、4月28日の設立総会には会員参加希望の約半数の首長が参加されます。
顧問には超党派の国会議員の方々や佐藤栄作久元福島県知事にご就任いただきま
した。また、総会当日はゲストとして「エネルギーから経済を考える経営者ネッ
トワーク会議」代表の鈴木悌介世話役代表からご挨拶をいただき、韓国ソウル市
長や菅直人前首相からの賛同メッセージもご紹介します。会場が金融機関となる
ため、一般の公開はしておりません。会議の模様は13時より下記のUstreamでご
覧頂けます。是非、ご覧ください。  
ISEP      :http://www.ustream.tv/channel/isep
IWJチャンネル4 : http://www.ustream.tv/channel/iwakamiyasumi4

               「脱原発を目ざす首長会議」事務局 野平
                E-mail:mayors@npfree.jp
 
***********
 
(設立趣旨)
  3.11東日本大震災からはや1年が経ちます。あまりにも多くの犠牲を生
んでしまった震災は、全国民のみならず世界中に深い悲しみと同時に恐怖を与え
ました。特に福島第一原発のメルトダウン事故は、放射能汚染による広範で長期
的な健康、環境被害をもたらし、原発の安全神話は完全に崩壊しました。さら
に、これまで原発を推進してきた理由である「クリーンなエネルギー」、「経済
的なエネルギー」は全く根拠のないものであり、むしろ地域経済を破壊しただけ
でなく信頼の上に成り立ってきた日本の経済をも揺るがしかねないものであるこ
とも分かってきました。
  3.11以後頻発する地震により、大震災予測は前倒しの可能性ありと報告
もある中、原発立地自治体は言うに及ばず、近隣自治体も一刻も早く原発依存の
エネルギー政策について、決断をせざるを得ない事態に至っています。
  
  何より、自治体首長の第一の責任は「住民の生命財産を守る」ことです。
   今回の福島第一原発事故で学んだことは、たとえ経済効果が期待されるとし
ても、リスクの大きい政策は大きな犠牲を払う可能性の覚悟がいるということで
す。しかし、住民の犠牲の上に経済が優先されていいわけがありません。
  そして、子どもの生涯にわたる健康不安をもたらすようなものは、決して取
り扱ってはいけないということです。なぜなら、子ども達は私たちの未来であ
り、全ての子どもは、健やかに生きる権利を持っています。私たち大人は、自治
体は、子ども達の生存権を保障する義務があるからです。
  現状救済のため、市民が立ち上がり、地方議員もそれぞれネットワークを作
りながら活発な活動が始まっています。

  自治体の首長も自らの責任として、この事態に黙することなく、原発に依存
しない社会「脱原発社会」をめざし、すみやかに再生可能なエネルギーを地域政
策として実現することを積極的に進めていかなければなりません。
  また、福島原発事故による放射能汚染の問題は、日本全体が負わなければな
らない問題です。特に、放射能汚染にさらされた子ども達、汚染の中で生き続け
なければならない子ども達を支え続けることも日本全体の責任です。

  これらの自治体に課せられた重い課題を、効果的かつ実行力ある政策に変え
ていくため、首長がゆるやかなネットワークを組みながら、力を合わせて自立し
た地域づくりを進めるために、「脱原発をめざす首長会議」を設立します。
 取材にお越しいただき、報道していただけると幸甚です。
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(活動目的と取り組むテーマ) 
・新しい原発はつくらない
・出来るだけ早期に原発をゼロにする
 (1)原発の実態を把握する(原価、核燃料サイクル、最終処分場等)
 (2)原発ゼロに至るまでのプログラムを明確にする
 (3)地域での再生可能なエネルギーを推進する具体政策を作る
 (4)世界との連携による情報を共有する
 (5)子どもの避難や、安全な食品の提供などの支援をする
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(呼びかけ人)
石井俊雄(長生村長) 石井直樹(下田市長)  上原公子(元国立市長)
加藤憲一(小田原市長)桜井勝延(南相馬市長) 笹口孝明(元巻町長)
鈴木健一(伊勢市長) 鈴木望(元盤田市長)  田中勝已(木曽町長)
田村典彦(吉田町長) 根本良一(元矢祭町長) 保坂展人(世田谷区長)
松本昭夫(北栄町長) 三上元(湖西市長)   村上達也(東海村長)

(顧問)
石田三示(新党きづな 衆議院議員)    江田憲司(みんなの党 衆議院議員)
河野太郎(自民党 衆議院議員)        佐藤栄佐久(前福島県知事)
志位和夫(日本共産党 衆議院議員)    篠原孝(民主党 衆議院議員)
田中康夫(新党日本 衆議院議員)      福島瑞穂 (社民党 参議院議員)
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(お問い合わせ)
脱原発をめざす首長会議事務局
TEL:03-6851-9791, FAX:03-3363-7562, E-mail:mayors@npfree.jp 
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【設立総会の動画】

脱原発をめざす首長会議 設立総会 1/3  http://www.ustream.tv/recorded/22179359
13:00~13:25 総会開会
世話人、事務局長挨拶      
13:25~14:15 顧問、ゲスト挨拶&首長挨拶14:15~14:25 韓国首長ビデオメッセージ 14:25~14:55 記念講演会
『脱原発社会~地方自治体の可能性と役割~』
飯田哲也(ISEP/環境エネルギー政策研究所所長)
15:00~15:10 休憩


脱原発をめざす首長会議 総会 2/3 http://www.ustream.tv/recorded/22181702
2012/4/28 15:10~15:50
脱原発をめざす首長会議 総会


脱原発をめざす首長会議 総会 3/3 http://www.ustream.tv/recorded/22182505
桜井勝延南相馬市長
村上達也東海村村長 など

【関連報道】

(東京新聞)脱原発 政府に要求 首長会議、初会合 (2012年4月29日 朝刊) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012042902000079.html (2012年4月29日閲覧)(全文転載)

 原発ゼロ社会の実現を掲げ、「脱原発をめざす首長会議」が二十八日、旗揚げした。東京都品川区の城南信用金庫本店で設立総会を開き、住民の生命と 財産を守るため、新たな原発は造らせず、原発のない社会を実現する決意を表明した。全国の地方自治体のトップが足並みをそろえ、政府に国の原子力政策の転 換を迫る考えだ。 

 この日までに三十五都道府県の首長や元首長計七十人が会員になり、設立総会には二十二人が出席した。

 設立総会では、政府に対し関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町)などを拙速に再稼働せず、地元自治体・住民の合意形成を求め、 新しいエネルギー基本計画で原発ゼロを決定するよう求める決議を全会一致で可決した。今後は年二回、情報交換会や勉強会を開き、政府に政策を提言していく。

 発端は、今年一月、横浜市で開催された「脱原発世界会議」で、三上元(はじめ)静岡県湖西市長と上原公子元東京都国立市長が意気投合し、設立を決 断。日本原子力発電東海第二原発を抱える茨城県東海村の村上達也村長、東京電力福島第一原発事故で大規模な住民避難を強いられた福島県南相馬市の桜井勝延 市長らが呼び掛け人を務め、準備を進めてきた。先月末、全国約千七百の市区町村長に設立趣旨を郵送し、参加を呼び掛けた。

 設立総会で、三上、桜井両市長、村上村長を世話人に選出し、福島県の佐藤栄佐久前知事、与野党の国会議員が顧問に就任した。

 総会後の記者会見で村上村長は「首長たちは強い意志を持って会議に臨んだ。世界的にもインパクトのある画期的な会議。われわれは脱原発を選択したことに自信を持っていい」と力を込めた。
(転載終わり)

(西日本新聞)脱原発へ首長結束 「めざす会議」設立、九州からも12人2012年4月29日 00:34)http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/299696 (2012年4月29日閲覧)(全文転載)

 政府が原発再稼働への動きを本格化させる中、「脱原発をめざす首長会議」の設立総会が 28日、東京都内で開かれた。会員は原発が立地する茨城県東海村の村上達也村長を含む36都道府県の市区町村長70人(元職6人含む)。九州からも12自 治体の首長が名を連ねる。総会では「首長は住民の生命と財産を守る責任がある」との発言が相次ぎ、国任せではなく、自治体からエネルギー政策を提言するこ となどを確認した。

 総会には会員の首長21人や自治体職員を含む約200人が出席。呼び掛け人の静岡県湖西市の三上元市長は「原発は地震や津波に耐えられない、極めて危なっかしいものだ」と指摘。「この会議が(脱原発へ)政党の肩を押してあげないといけない」と呼び掛けた。

 東海第2原発を抱える村上村長は、原発立地自治体では唯一の会員。「他の首長が参加しない中で、ちゅうちょもあった」と明かした上で「長年、原発と共存してきた東海村だが見切りをつける時だ。設立は歴史的に意味がある」と強調した。

 総会では、政府が再稼働に同意するよう地元自治体に要請している関西電力大飯原発3、4号機について「拙速な再稼働」に反対する決議と、政府が検討している新しいエネルギー基本計画に原発ゼロを盛り込むよう求める決議を採択した。

  出席者に九州の首長の姿はなかったが、佐賀県小城市の江里口秀次市長は「ひとたび原発事故が起きれば手に負えない事態になることが今回の事故で分かった」 と会員になった理由を説明。熊本県山江村の横谷巡村長は「保守とか革新とかではなく全首長が真剣に脱原発を考えるべきだ」と話した。

=2012/04/29付 西日本新聞朝刊=

(転載終わり)
 
【動画】(TBSNews)「脱原発を目指す首長会議」設立総会(28日17:13)http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5015703.html(2012年4月28日閲覧)

  原発に依存しない社会を目指そうという呼びかけに応じた全国69の市町村のトップらが「脱原発を目指す首長会議」というネットワークを結成し、28日、都内で設立総会を開きました。

「地震、津波に耐えられないどころか、極めて危なっかしいものが存在している」(三上元湖西市長)

「脱原発を目指す首長会議」は、福島第一原発から20キロ圏にある南相馬市の市長や、東海第二原発を抱える東海村の村長などが中心となって、原発に依存せずに再生可能エネルギー政策を進めようと呼びかけた会議です。

呼びかけには69人の首長や元首長らが応じたほか、顧問として超党派の国会議員らも名を連ねています。再稼働問題で揺れる大飯原発からおよそ50キロの京都府京丹後市長も次のように挨拶しました。

「原発のない社会を作っていく、この趣旨には大賛成。(原発のない)社会を早く実現したい」(中山秦京丹後市長)

(転載終わり)
 
(東京新聞) 脱原発 「国に任せられぬ」 首長会議きょう発足 村上・東海村村長
(2012年4月28日 07時02分) http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012042890070238.html (2012年4月28日閲覧)(全文転載)

首長会議の役割と脱原発への思いを語る村上達也村長=茨城県東海村で(林容史撮影)

写真
原発再稼働へと政府が大きくかじを切る中、原発ゼロを訴え、「脱原発をめざす首長会議」が二十八日、東京都内で発足する。原発立地自治体の中で唯 一の会員で、全国の首長に参加を呼び掛けてきた茨城県東海村の村上達也村長(69)は、本紙のインタビューに「住民の命と財産に及ぶ政策を国だけに任せて おくわけにはいかない。首長会議は、政治にインパクトを与えるはず」と意欲を語った。 (林容史)

首長会議には、三十五都道府県の首長・ 元首長六十九人が会員として名を連ねる。二十八日の設立総会には、顧問の佐藤栄佐久前福島県知事ら三十四人が出席する予定だ。「これだけの首長が顔をそろ え、国にものを言えば大きな影響力を持つ。新しい地方主権、民主主義の動きだ」と村上氏は力説する。

◆政府は世論を読めていない

東海村は東海第二原発(日本原子力発電)を抱え、東日本大震災では、自身もあわやの危険を感じた。いまの国の動きは、なし崩し的に原発を再稼働しようとしているようにしか見えない。「政府は一年以上たっても脱原発の世論が読めていない」といら立ちを隠せない。

設立総会では、自らの思いも発表するつもりだ。「福島の原発事故の被害の実態を見てください。なぜ脱原発にならないのか、私は不思議に思う」。故郷に戻れ ない被災者のこと、魚や野菜など農産物を出荷できず死活問題に直面している人が多数いること。放射能被害の天文学的数字と底なしの不安。「人口が密集する この狭い国土に、原発を持つということについて真剣に考える必要がある。これは目先の利益ではなく、われわれ日本人の品格にかかわる問題だ」と訴える。

東海村では一九九九年、核燃料加工工場ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で国内初の臨界事故が発生。村上氏は村長として国や県の対応を待たず、いち早く住民を避難させるため陣頭指揮を執った経験がある。

目に見えない放射能の恐怖を身をもって知ったが、それでも「国策」である原子力政策に異を唱えることはできなかった。それは国に真っ向から歯向かうことを意味したからだ。まして、原子力の恩恵でうるおってきた自治体の長が唱えれば、異端として排除されかねなかった。

しかし、東京電力福島第一原発事故がすべてを一変させた。

昨年十二月、首長会議の設立を準備していた静岡県湖西市の三上元市長が訪ねてきた。「一緒にやろう」との誘いを快諾した。「原発が立地する市町村の住民の中には、いろいろな利害関係はあるが、福島原発事故を経験し、たじろいでいる場合ではなかった」と振り返る。

これからは「脱原発依存」を言いながら、具体的な道筋を示せない政府を、首長会議として脱原発へと後押ししていく考えだ。

◆全基の廃炉へ 国有化要請も

村上氏は「全国原子力発電所所在市町村協議会」(全原協)の副会長を十四年以上務めてきたが、五月に都内で開かれる総会で、職を辞すという。「全原協は、 電源交付金を要求しながら、経済産業省と一体となって原発を推進してきた。福島原発事故を防げなかったことに副会長として責任を感じる」と打ち明ける。

全原協の総会の場では、枝野幸男経済産業相に、持論をまとめた「脱原発依存のための制度設計」を突き付け、電力業界にメスを入れて、国内の全原発を将来的な廃炉に向けて国有化するよう迫るつもりだ。
(東京新聞)

(転載終わり)

(東京新聞)脱原発 首長スクラム(2012年4月6日 朝刊) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012040602000115.html (2012年4月28日閲覧)(全文転載)

東京電力福島第一原発事故を受け、脱原発を宣言する自治体の首長ら十五人の呼び掛けで「脱原発をめざす首長会議(仮称)」が設立されることが分 かった。全国自治体の首長に参加を呼び掛け、設立総会を二十八日に東京都内で開く。脱原発を掲げる城南信用金庫の本店(品川区)が会場になる。

新たな原発は造らせず、早期に原発ゼロ社会を実現するのが目的。今年一月、横浜市で開かれた「脱原発世界会議」に出席した静岡県湖西市の三上元市長(現職)と東京都国立市の上原公子元市長が「継続的な首長のネットワークを」と意気投合し、設立準備を進めてきた。

日本原子力発電東海第二原発のある茨城県東海村の村上達也村長、福島原発に近い福島県南相馬市の桜井勝延市長らが賛同し、呼び掛け人に加わった。 うち十一人が現職の首長。さらに福島県の佐藤栄佐久前知事、自民党の河野太郎衆院議員、民主党の篠原孝衆院議員、社民党の福島瑞穂党首らが顧問に就任する。

設立趣意書では、事故で「原発の安全神話は完全に崩壊した」と断じ、「住民の犠牲の上に経済が優先されていいわけがない」と主張。その上で「黙することなく原発に依存しない社会を目指し、再生可能なエネルギーを地域政策として実現させなければならない」と訴えている。

年二回、情報交換会や勉強会を開き、原発ゼロに向けたプログラムや再生可能エネルギーを導入する具体的施策を練る。先月末、全国約千七百の市区町村長に参加を呼び掛ける案内状を郵送した。

三上市長は「脱原発に向け、一年前から首長の会をつくらなければと思い続けてきた。住民の生命と財産を守るのが首長の責務。生きているうちに原発ゼロを実現したい」と決意を述べている。
(転載終わり)


【関連リンク】

茨城県東海村の村上達也村長が脱原発を発信 http://johosousa.blogspot.com/2012/02/blog-post.html

「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」HP http://npfree.jp/  

Wednesday, April 25, 2012

II.A.13.SPEEDIデータ非開示、福島県が2012年3月になって調査、削除を認める

東京電力福島第1原発事故の発生直後、政府や福島県は緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム (SPEEDI)による拡散予測の情報を提供しなかった。そのため、浪江町民は知らずに放射線量の高いところへと避難し、原発から北西へ約40キロ離れているが風向きのせいで高放射線量になった飯舘村では、その事実を知らされず、4月になるまで全村避難は行われなかった。だが、放射線拡散の実態が明らかになり、SPEEDIの予測がかなり正確だったことがわかるにつれ、これらの人たちがしなくてもいい被曝をさせられたことが明白となり、SPEEDIのデータを出さなかった政府や県に対する批判が高まった。(その一方で、政府は、米軍にはいち早くデータを提供していた。)

この問題について、福島県は昨年5月、「SPEEDIのデータは3月13日に経済産業省原子力安全・保安院からファクスで受け取ったのが最初で、メールは同月15日に受信した」 と県議会で答弁していた。直後に政府が「3月12日深夜に県災害対策本部に送信した」と国会で答弁し、今年3月には県のデータ消去が明らかになった。

昨年5月時点で県と国の見解が異なっていたにもかかわらず、県は今年3月まで詳細な調査に着手しなかった。4月20日に福島県が発表した調査結果によると、県災害対策本部は昨年3月12日深夜~16日朝、計86通のメールデータを受信した。このうち21通がUSBメモリーや印刷物で保管されたが、残り65通は消去された。 消去の原因について(1)データの取り扱いマニュアルがなかった(2)事故直後で指揮命令系統が混乱した(3)他のメールの受信容量を確保しようとした-ことを挙げている。

(福島民友ニュース) 国、県を刑事告発も SPEEDI活用せず住民被ばく (2012年4月12日) http://www.minyu-net.com/news/news/0412/news8.html (2012年4月25日閲覧)(全文転載)

東京電力福島第1原発事故の発生直後、国や県が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム (SPEEDI)による拡散予測の情報を的確に提供しなかった問題で、誤った判断で避難に混乱を生じさせ多くの町民が被ばくしたとして、浪江町が国と県を刑事告発する方向で検討していることが11日、分かった。馬場有町長は「被ばくによる将来の健康被害の不安を考えれば、今の段階で国と県の責任を明確にす る必要がある」としている。

町によると、法律の専門家の助言を受け5月以降に結論を出す方針。罪名は「業務上過失致傷など」(町幹部)を検討。馬場町長は「現時点でも国や県は加害者意識が欠落している」と厳しく批判している。
(2012年4月12日 福島民友ニュース)

(転載終わり)

(毎日新聞) 浪江町長:SPEEDIデータ非開示で国担当者の告発検討(2012年04月11日20時17分(最終更新 04月11日20時20分))http://mainichi.jp/select/news/20120412k0000m040057000c.html (2012年4月25日閲覧)(全文転載)



馬場有町長=田辺佑介撮影
馬場有町長=田辺佑介撮影
東京電力福島第1原発事故で「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)のデータなどを開示 しなかったため、適切な避難指示を町民に出せず79人の災害関連死を招いたとして、福島県浪江町の馬場有町長が業務上過失致死容疑で国担当者の告発を検討 していることが分かった。

SPEEDIデータを消去した県側も告発対象とすることを含め支援の弁護士らと検討しており、5月中旬までに告発内容を決める方針。馬場町長は「当時の実態や責任の所在を公正な場で明らかにしなければ教訓にならない」と語った。

町役場や町民は事故直後の11年3月12日、原発の北西約30キロの同町津島地区へ、15日にはさらに遠くへ避難。情報過疎のため指示は混乱し、15回近く避難を繰り返した町民もいる。馬場町長は、その負担が関連死の一因だと主張している。

国・県からは▽放射性物質の拡散予測▽地上で実測した放射線量▽事故状況−−の連絡がなく、SPEEDIデータは3月下旬、線量は4月上旬に伝えられた。津島地区が町内でも特に高線量だと初めて分かったという。【泉谷由梨子】

(転載終わり) 

(河北新報)SPEEDI 県、データ消去謝罪 伝達・共有態勢に不備2012年04月21日) http://www.kahoku.co.jp/news/2012/04/20120421t61011.htm (2012年4月25日閲覧)(全文転載)(太字強調は投稿者による)

記者会見で謝罪する荒竹部長(中央)ら=20日午後、福島県庁
福島第1原発事故直後に原子力安全技術センターからメール送信された緊急時迅速 放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のデータを福島県が消去した問題で、県は20日、データの伝達、共有態勢に不備があり、事実経過の確認も怠ったとする調査結果を公表し、謝罪した。関係職員の処分を検討している。

調査結果によると、県災害対策本部は昨年3月12日深夜~16日朝、計86通のメールデータを受信した。このうち21通がUSBメモリーや印刷物で保管されたが、残り65通は消去された。

消去の原因について(1)データの取り扱いマニュアルがなかった(2)事故直後で指揮命令系統が混乱した(3)他のメールの受信容量を確保しようとした-ことを挙げている。

県は昨年5月、「SPEEDIのデータは3月13日に経済産業省原子力安全・保安院からファクスで受け取ったのが最初で、メールは同月15日に受信した」 と県議会で答弁した。直後に国が「3月12日深夜に県災害対策本部に送信した」と国会で答弁し、ことし3月には県のデータ消去が明らかになった。

昨年5月時点で県と国の見解が異なっていたにもかかわらず、県はことし3月まで詳細な調査に着手しなかった。

荒竹宏之県生活環境部長は記者会見し、「県民の不信と疑念を増幅した」と陳謝。データの消去や非公表が住民避難の遅れにつながったかどうかについては「国会や政府の事故調査委員会の検証結果が出るまで断言できない」と述べた。

(転載終わり)

(東京新聞)拡散予測 福島県が削除謝罪(2012年4月21日 朝刊) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012042102000101.html (2012年4月25日閲覧)(全文転載)

東京電力福島第一原発からの放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算結果が、地元自治体 に伝わらなかった問題で、福島県は二十日「指揮命令系統が混乱し、組織内で適切な情報共有ができなかった。電子メールの受信容量を確保するためデータを削 除した」との検証結果を明らかにした。県はこの日、事故で全町避難した同県浪江町に謝罪、結果を報告した。

県によると、試算は昨年三月十二日午後十一時五十四分から同十六日午前九時四十五分までにメール八十六通を原子力安全技術センター(東京)から受信。USBメモリーなどで保管していたのは二十一通で、残り六十五通はデータを消去していた。

原因は(1)県災害対策本部でメールの取り扱いが明確に定められていなかった(2)情報共有が徹底されていなかった(3)メールの受信容量を確保するため情報を削除した-としている。

同県二本松市にある浪江町役場の移転先を訪問した荒竹宏之県生活環境部長は「データの管理がずさんで、これまで詳細な調査を怠ったことはおわびを するほかない」と陳謝。馬場有浪江町長は「われわれの命をどう思っているのか。とんでもない危機管理の欠如だ」と怒りをあらわにした。
SPEEDIをめぐっては、浪江町が「試算結果が伝わらなかったことで無用の被ばくをした」として、国や県に対する告発を検討している。

(転載終わり)

【動画】(NHK)浪江町長 国会事故調で政府を批判(4月21日 18時42分)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120421/k10014618501000.html (2012年4月25日閲覧)(全文転載)

原発事故の影響で町全域が避難区域に指定されている福島県浪江町の馬場有町長は、福島県で開かれた国会の原発事故調査委員会に参考人として出席し、原発事故による避難指示について、政府から連絡がなくテレビで知ったとして、政府の対応を批判しました。

国会の原発事故調査委員会は、21日、町の全域が避難区域に指定されている福島県浪江町が役場ごと避難している福島県二本松市で委員会を開きました。

こ の中で、参考人として出席した浪江町の馬場有町長は「震災翌日の早朝、原発から10キロ圏内に避難指示が出ていることをテレビで知った。私どもには連絡が 何もなく、原発でまさかあのような大きな事故が起きていることは、想像だにしなかった」と述べ、政府の対応を批判しました。
また、馬場町長は「町と東京電力、福島県の3者で協定を結んでいて、何かあったら必ず連絡することになっている。これまでは、工具を落としただけでも連絡が来たのに、肝心なときに一切連絡が無かったのは非常に残念だし、協定違反だ」と述べました。

このほか、馬場町長は、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」と呼ばれるシステムの予測データが、事故後直ちに公表されず、結果的に多くの町民が放射線量が高い方向に避難したことについて、「公開して連絡してもらえば、別の避難の方法もあった」と述べました。

(転載終わり)  

(東京新聞)「東電と福島県 連絡協定違反」 浪江町、国会事故調に(2012年4月22日 朝刊)  http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012042202000090.html(2012年4月25日閲覧)(全文転載)

国会の東京電力福島第一原発事故調査委員会(黒川清委員長)は二十一日、福島県二本松市で会合を開き、同市に集団避難している浪江町の馬場有町長らから、事故当初の状況や事故調べの要望について聞き取りした。

馬場町長は昨年三月十一日の事故発生後、翌十二日早朝にテレビで十キロ圏内の屋内退避指示を知るまで、原発の深刻な状況を把握できなかったと説 明。東京電力、県、町の三者が原発のトラブルに備えて通信連絡協定を結んでいたにもかかわらず、東電と県からは一切情報が来なかったことを明らかにした。

その上で「歩いてでも報告に来るべきだ。協定違反だ」と指摘。経緯を徹底調査するよう求めた。

緊急時に放射性物質の拡散を予測するシステムSPEEDI(スピーディ)のデータ公表の遅れも批判。「連絡していただければ、別の避難の方法もあった」と述べ、原因の究明を求めた。

避難している町民約百八十人との意見交換会も開催。被ばくによる健康被害を心配する声や、政府が進める大飯(おおい)原発(福井県おおい町)3、4号機の再稼働について「国民の命をないがしろにしている」と批判する意見が相次いだ。

二十二日は会津若松市で大熊町関係者からの聞き取りや、町民との意見交換会を行う。

(転載終わり)

【一次資料】

(福島県HP)原子力安全対策課 「福島第一原子力発電所事故発生当初の電子メールによるSPEEDI試算結果の取扱い状況の確認結果について」のページ http://www.pref.fukushima.jp/nuclear/info/120420.html (2012年4月25日閲覧) 

【動画】(国会事故調チャンネル)国会事故調 第10回委員会 2012/04/21  http://www.ustream.tv/recorded/22003041 (2012年4月25日閲覧)

【関連報道】

(河北新報)神話の果てに 東北から問う原子力 
第2部・迷走(2)放置/拡散予測データ、埋没(2012年04月20日)http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20120420_01.htm (2012年4月25日閲覧)(全文転載)

原子力安全・保安院の依頼で昨年3月16日朝に計算されたSPEEDIの図。放射性ヨウ素が福島第1原発の北西に拡散しているとの予測だった
<活用されて当然>
「予測を参考に、住民避難などの対応が取られているだろう」
昨年3月16日夜の原子力安全委員会(東京)。日本原子力研究開発機構・原子力基礎工学部門(茨城県東海村)の茅野政道部門長は、開発に携わった緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)が作動しているのを確認し、胸をなで下ろした。
SPEEDIを管理する原子力安全技術センター(東京)は昨年3月11日夕、放射性物質の拡散方向などの計算を開始。結果を文部科学省や経済産業省原子力安全・保安院、原子力安全委員会、福島県などに送っていた。住民の避難や被ばく対策に活用されて当然だった。
ところが、政府の事故調査・検証委員会の中間報告によると、翌12日時点で、保安院は「信頼性が低い」と記載した上で計算結果を官邸に送付。官邸職員は参 考情報にすぎないと考え、当時の菅直人首相に伝えなかった。文科省や県からも活用を訴える声は上がらず、データは放置された。
原子炉の状況が把握できない中、センターは放出される放射性物質の量を仮定し、拡散方向を予測した。結果の信頼性は確かに高いとはいえないが、住民が避難する方向を選ぶ上で大切な情報だった。

<収まらない憤り>
第1原発の北西約30キロの福島県飯舘村長泥地区。農業佐藤明康さん(70)方の放射線量は3月下旬、村による測定で、屋内10マイクロシーベルト、屋外15マイクロシーベルトという高い値を示した。
佐藤さんは事故後、しばらく自宅にいて、普段通り農作業をした。15日は雨にもぬれた。いつものように井戸水を飲み、炊事にも使った。原発事故の報道に、村が危ないという情報はなかった。
2号機の原子炉格納容器下にある圧力抑制室が損傷した15日以降、SPEEDIは何度か、放射性物質が北西方向に拡散すると予測した。保安院の依頼による16日朝の計算でも浪江町津島地区や葛尾、飯舘両村で、地表に多くのヨウ素が蓄積しているとの結果が出ていた。
「(原発から)これだけ離れていれば大丈夫だと思ったが、実はとんでもない状況で暮らしていた」と佐藤さん。速やかに情報公開しなかった政府に憤りが収まらない。
「われわれをばかにしている」

<必要情報出さず>
長年、SPEEDIの開発、改良に取り組んできた茅野部門長は「緊急時には、SPEEDIの予測と放射線量の実測値など、さまざまな情報を総合して判断する必要がある」と強調する。
原発周辺でモニタリングに当たった福島県の担当者は「原発の北や北西で線量が上がり始めていることは、12日の段階で確認し、政府の現地対策本部にも逐一報告していた」と証言する。このモニタリング結果も当時、危険な地域の予測に生かされることはなかった。
住民がその時々に必要としていた情報を開示してこなかった国の事故対応。政府の事故調査・検証委員会は中間報告で、その根底にある問題点を指摘している。
「住民の命と尊厳を重視する立場で、データ公表の重要性を考える意識が薄かった」

(転載終わり)

(JBPress) 福島県庁にSPEEDIのデータは届いていた!メルトダウンの恐怖の中、後回しになった住民避難 (2012.04.19) http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35024 (2012年4月25日閲覧)

前回に引き続き、福島県庁に災害対策本部を訪ねた取材の結果(2012年1月上旬)を報告する。
取材に応えた担当者は、名刺を交換したうえで、災害対策本部の話として書いてもいいが、個人名は伏せてほしいと私に依頼した。県庁職員の氏名にニュース価値はないので、それに沿う。

質問は主に2点である。

(1)地元で行われていた原子力災害を想定した避難訓練の内容。
(2)原発事故が起きた場合の放射性物質の流れを予測し、住民を避難させるためのシステム「SPEEDI」は生きていたのか。その情報を福島県庁はどう扱ったのか。避難に役立ったのか。

つづきを読む
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2012年5月16日投稿

(週間金曜日) SPEEDIのデータ削除調査――福島県の説明は支離滅裂(2012年4月27日号) http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120515-00000302-kinyobi-soci (2012年5月16日閲覧)(全文転載)

福島県は四月二〇日、福島第一原発事故直後にSPEEDI(放射性物質の拡散予測システム)のデータを受け取りながら、県民に公開せず、削除していたことについて調査結果を発表した。

 県はこれまで、昨年三月一三日以降は原子力安全・保安院から県災害対策本部宛てにファクシミリで、一五日以降は(財)原子力安全技術センターから県災害 対策本部宛てにメールでデータを受信していたと説明。しかし国は一一日二三時四九分から県原子力センターに、一二日二三時五四分から県災害対策本部にデー タをメールで送信したとし、見解が違っていた。

 しかし調査により、県は県災害対策本部で一二日二三時五四分から一六日九時四五分までに八六通をメールで受信し、二一通を除き、六五通は組織で共有せず に「消失」したと見解を変えた。その原因は「防災対策本部が防護対策の検討に活用するものではないことから、取り扱いについて定められていなかった」から だと言う。

 支離滅裂な理由だが、筆者はこの件を本誌昨年七月二二日号で報じている。当時、県原子力災害対策担当者らは三月一一日深夜から未明にかけてデータをメー ルで受け取りながら、担当者がメールが大量であることを理由に削除し、責任者が「とても避難の予測には使えない。公表しても誤解を招く」と考えたと述べて いた。

 四月二二日に同県で開催された国会事故調査委員会で、田中耕一委員が「きわどい状況になったときに住民がパニックになるだろうと、上に立つ者が大切な情 報を隠してしまう」エリートパニックについて指摘していた。福島県でもそれが起きていたのではないか。緊急時に誰も適切に判断できなかったためにどのよう な結果をもたらし、県民が無用な被曝をさせられたのか。教訓として残さなければ、ミスは再び繰り返される。

(まさのあつこ・ジャーナリスト、4月27日号)

(転載終わり)

Saturday, April 21, 2012

II.A.3. ニュースを書き変える

昨年(2011年)4月29日に、内閣官房参与の小佐古敏荘氏が、政府の事故対応を批判し、年間被曝量20ミリシーベルトとする小学校校庭使用基準に「強く抗議」する辞任会見を行った。その会見をニュースで伝えたNHKは、最初は、小佐古氏の20ミリシーベルト批判に言及したが、後に文章を書き変え、20ミリシーベルトに言及した文章は削除するとともに、菅首相(当時)の内閣官房参与の起用についても、中立的な表現から、批判を前面に出す表現へと変更した。

以下、みんな楽しくHappy♡がいい♪さまのブログ記事、「書き換えられたニュース記事」を参考にさせていただきました。変更前後のニュース記事の写真画像は、こちらにあります。http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1795.html

書き変える前の記事にあったが、のちに削除された文章

「さらに小佐古氏は文部科学省などが、福島県の小学校などの校庭制限する目安を1年間の放射線量の累計で20ミリシーベルトとしたことについて、『これまでの被ばくをする人は全国の原発業務の従事者の中でも極めて少なく、この数値を小学生らに求めるには、学問上の見地や私のヒューマニズムから受け入れがたい』と述べました。」 

菅首相(当時)の内閣官房参与の起用についての文章―書き変え前と後の対比 

書き変え前の中立的な文章

「東日本大震災の発生後、菅総理大臣は、助言を受けるため、小佐古氏をはじめ、原子力の専門家など6人を新たに内閣官房参与に起用しています。」 

書き変え後の批判的な文章。(太字は投稿者)

「内閣官房参与を巡っては、東日本大震災の発生後、菅総理大臣が、小佐古氏をはじめ、原子力の専門家など6人を次々と起用して意見を聞いており、野党側に加え、政府与党内からも、指揮命令があいまいになるなど批判が出ていました。」  

【関連情報】

内閣官房参与 小佐古敏荘氏 「内閣官房参与の辞任にあたって」 (2011年4月29日)
NHK「かぶん」ブログ、「2011年04月29日 (金) 官房参与が辞任・記者会見資料を全文掲載します」より転載。http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html (2012年4月21日閲覧)

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平成23年4月29日
内閣官房参与の辞任にあたって
(辞意表明)
内閣官房参与
小佐古敏荘

 平成23年3月16日、私、小佐古敏荘は内閣官房参与に任ぜられ、原子力災 害の収束に向けての活動を当日から開始いたしました。そして災害後、一ヶ月半以上が経過し、事態収束に向けての各種対策が講じられておりますので、4月 30日付けで参与としての活動も一段落させて頂きたいと考え、本日、総理へ退任の報告を行ってきたところです。
 なお、この間の内閣官房参与としての活動は、報告書「福島第一発電所事故に対する対策について」にまとめました。これらは総理他、関係の皆様方にお届け致しました。


 私の任務は「総理に情報提供や助言」を行うことでありました。政府の行って いる活動と重複することを避けるため、原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、文部科学省他の活動を逐次レビューし、それらの活動の 足りざる部分、不適当と考えられる部分があれば、それに対して情報を提供し、さらに提言という形で助言を行って参りました。
 特に、原子力災害対策は「原子力プラントに係わる部分」、「環境、放射線、住民に係わる部分」に分かれますので、私、小佐古は、主として「環境、放射線、住民に係わる部分」といった『放射線防護』を中心とした部分を中心にカバーして参りました。
 ただ、プラントの状況と環境・住民への影響は相互に関連しあっておりますので、原子炉システム工学および原子力安全工学の専門家とも連携しながら活動を続けて参りました。
 さらに、全体は官邸の判断、政治家の判断とも関連するので、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志総理補佐官、総理から直命を受けている空本誠喜衆議院議員とも連携して参りました。


 この間、特に対応が急を要する問題が多くあり、またプラント収束および環境 影響・住民広報についての必要な対策が十分には講じられていなかったことから、3月16日、原子力災害対策本部および対策統合本部の支援のための「助言 チーム(座長:空本誠喜衆議院議員)」を立ち上げていただきました。まとめた「提言」は、逐次迅速に、官邸および対策本部に提出しました。それらの一部は 現実の対策として実現されました。
 ただ、まだ対策が講じられていない提言もあります。とりわけ、次に述べる、「法と正義に則り行われるべきこ と」、「国際常識とヒューマニズムに則りやっていただくべきこと」の点では考えていることがいくつもあります。今後、政府の対策の内のいくつかのものにつ いては、迅速な見直しおよび正しい対策の実施がなされるよう望むところです。


1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい

 この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ 思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定めら れており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。

 しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。
 
  とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判 断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放 射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、 指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちん と活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。


  初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍 のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力 研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福島県、茨城県、栃木 県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。

 また、文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会における判断 と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるものがあります。例えば、放射線業務従事者の緊急時被ばくの「限度」ですが、この件は既に放射線審議会で 国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告の国内法令取り入れの議論が、数年間にわたり行われ、審議終了事項として本年1月末に「放射線審議会基本 部会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1Svとすることが勧告されています。法の手順としては、この件につき見解を求められれば、 そう答えるべきであるが、立地指針等にしか現れない40-50年前の考え方に基づく、250mSvの数値使用が妥当かとの経済産業大臣、文部科学大臣等の 諮問に対する放射線審議会の答申として、「それで妥当」としている。ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500mSvを限度へとの、再 引き上げの議論も始まっている状況である。まさに「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスで官邸と行政機関がとっているように見える。放射線 審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要があります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメー ルで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、「妥当」と判 断するのもおかしいと思います。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。

2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい

 緊急時には様々な特例を設けざるを得ないし、そうすることができるわけですが、それにも国際的な常識があります。それを行政側の都合だけで国際的にも非常識な数値で強引に決めていくのはよろしくないし、そのような決定は国際的にも非難されることになります。
 今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎 として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状 態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせ いぜい1,2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月 間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放 射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け 入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この 数値の使用は慎重であるべきであります。

 小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。

 また、今回の福島の原子力災害に関して国際原子力機関(IAEA)の調査団 が訪日し、4回の調査報告会等が行われているが、そのまとめの報告会開催の情報は、外務省から官邸に連絡が入っていなかった。まさにこれは、国際関係 視、IAEA軽視ではなかったかと思います。また核物質計量管理、核査察や核物質防護の観点からもIAEAと今回の事故に際して早期から、連携強化を図る 必要があるが、これについて、その時点では官邸および行政機関は気付いておらず、原子力外交の機能不全ともいえる。国際常識ある原子力安全行政の復活を強 く求めるものである。
                                                      以上

【関連ブログ】
 Peace Philosophy Centre) 「子ども20ミリシーベルト」に反対し内閣官房参与を辞任した専門家の決断-辞任理由全文があるNHK「かぶん」ブログ、一部削除された報道 http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/04/blog-post_29.html

Wednesday, April 11, 2012

XIII.15.「我が窮状」の沢田研二さんが脱原発を発信

2008年に憲法第9条擁護の自作の歌、「我が窮状」で話題になった歌手の沢田研二さんが、脱原発を発信。

(毎日新聞) ザ・特集:沢田研二さんに会いに行く 「震災」「脱原発」への思い 自分の言葉で歌いたい
(2012年03月08日 東京朝刊) http://mainichi.jp/enta/news/20120308ddm013040212000c.html (2012年4月11日閲覧)(全文転載)
「こんな年齢になったから、ちゃんと言っていかないとね」とリラックスした様子で語る歌手の沢田研二さん=武市公孝撮影
「こんな年齢になったから、ちゃんと言っていかないとね」とリラックスした様子で語る歌手の沢田研二さん=武市公孝撮影

 骨のある生き方って何だろう−−。東日本大震災後、時折そんなことを考える。あるコンサートに足を運んでから、歌手のジュリー、沢田研二さん(63)に聞いてみたくなった。今、何を考えていますか。【太田阿利佐】

 ◇売れなくなって考えた 何が一番大事なのか ちゃんと言わないと恥ずかしい

 ◇立ち直っていない人、きっと多い 「頑張らなくていい」「大丈夫」言い合える曲、作りたかった

 舞台には、黒いタキシードのジュリーが汗を光らせて立っていた。昨年12月23日、パシフィコ横浜・国 立大ホールでのコンサート。ザ・タイガースのメンバー、瞳みのるさん、森本太郎さん、岸部一徳さんが加わったツアーで、若い頃より太ったジュリーは、おな かの肉をつまんで「あげるよー」とメンバーに投げつけるふりをしたりしながら、「僕のマリー」など代表曲を次々披露。会場の“元若者たち”もすごく楽しそうだ。

一方、ロビーでは「さようなら原発1000万人署名」が行われていた。作家・大江健三郎さんらによる脱原発を求める活動だ。女性たちが次々に署名していく。なんだか甘いマスクでダンディーなイメージが変わっていく……。

 15日から4月半ばまで、東京、大阪、名古屋で上演される音楽劇「お嬢さんお手上げだ」。その稽古(けいこ)場を訪ねた。ジュリーは素顔のまま、アロハシャツ姿で、首にタオルを巻いて現れた。

 「ま、歌の仕事もそうなんですけど、僕は大体が積極的にやるっていうたちじゃないんです。でも脱原発は 賛成なので、自分なりに何ができるかな、と。それも会場に来た人に『署名を』とお願いするのではなく、気が付いて賛同する人は署名すればいいし、そうでな い人はやらなくていい。いろんな人がいていいんじゃないの、というのが僕のスタンスだから」

 淡々としている。でもこれだけではない。11日発売のCD「3月8日の雲」は、4曲すべて東日本大震災がテーマだ。

 こんな目に遭うなんて情けない、胸がしぼむ、と歌うタイトル曲。みんな流されて君ひとりが残った……と 始まる「恨まないよ」。頑張らなくていい、泣いていい、でも笑って生きていくしかないという「カガヤケイノチ」。そして、大ヒット「TOKIO」以上に ポップなリズムで、この国は一体何を護(まも)るのか、バイバイ原発!と繰り返す「F・A・P・P」(フクシマ・アトミック・パワー・プラント、福島原発 の意味)。すべてジュリーの作詞だ。しかも「がんばろう」も「絆」も出てこない。

 「危険なふたり」「勝手にしやがれ」……。調査会社オリコンによると、1968年からの20年、最も多くのシングルレコードを売り上げたのは美空ひばりさんでも山口百恵さんでもなく、ジュリーだ。

ブンブン売れていた頃、多くを人にまかせていた。曲のイメージも、派手な衣装も。阿久悠さんのカッコいい歌詞は「実は好きじゃなかった」という。

 「売れている時はそれでもいい。売れなくなって真剣に考えるようになるんだよね」

 30代半ば、ヒットが減っていく。「でもみんなが言うの。『ジュリーは派手でいくべきだ』。本人がもう無理無理って思っているのに」

 85年に大手プロから独立してからも10年近く迷い続けた。「資金もないし、セットとかいろんなことを 削って削って、結局何が一番大事なのかとなった時、思った。売れる売れないはもう違う。やっぱり『あいつはちゃんと考えている』と思われないと応援する気 にならないよな、と」。コンサートに回帰した。嫌いな曲はもう歌わない。08年、東京ドームで約3万人を集めて「人間60年 ジュリー祭り」を開催。憲法 9条を守ろうとの思いを込めた「我が窮状」も発表した。

 それにしても、大震災という生々しい出来事を歌うのには、ある意味、勇気がいる。
 「いや、こっちに邪気がなかったら大丈夫なんです。これで売れたいとか下心があったら『被災者の気持ちじゃない』と言われたら困るけど、下心がなければ『いや、これ僕の気持ちなんだもの』って。それで十分じゃないですか」

 あっさり、そう返された。

 「テレビや新聞には、元気で、前向きな被災地の方々が出てくるでしょう。けなげだし立派だけれど、一人 になったら泣いているんじゃないかな、と思う。立ち直っていない人の方がきっと多い。でも立ち直れないまま、自分のやるべきことを黙々とやっている、そう いう人も多いでしょう。だって、昔から人間はそうやって生きてきたから」

 だから「頑張ろう」ではなく、被災した人もそうでない人も「きっと大丈夫」「こういう気持ちだよね」と言い合えるような曲を作りたかった。

 CDのタイトルは自分の体験からだ。昨年3月8日、空の雲を見て写真に撮った。3日後に大震災とは夢にも思わずに。誰もがそうだったよね……そんな思いを込めた。

 それでももう一度、聞いた。被災地の人が聴いてどう感じるか、怖くないですか。

 「もちろん怖さはあるけど、それはどんな歌でも同じでしょう。一緒に頑張ろうという曲だって嫌な人はいる。ただ、みんな絶対、わざわざ原発の歌なんて作らないでしょうね」

 アハハハハ、と大笑いしてから続けた。「結局、自分の言葉じゃないと歌えなくなったんですね。古い曲もヒット曲も歌う。でも新しい曲は自分の気持ちを、自分の方法で歌わないと、純度が下がる」

 どきん、とした。あなたはあなたの言葉で記事を書いている?と問われたようで。

 インタビューの間中、ジュリーは首のタオルを取らなかった。まるで、かつてのようにカッコいいヒーローとして派手に書かないでくれ……そう言っているみたいだ。

 79年公開の映画「太陽を盗んだ男」。ジュリーは、原発からプルトニウムを盗み原爆をつくって政府を脅迫する理科教師を演じた。原発には当時から関心が?

 「9条も含めて、売れている頃は、そういうことは考えないようにしていました。考えて何かしようとして も、きっと周囲が止めると分かっていたから。でも、こんな年齢になったから、ちゃんと言っていかないと恥ずかしいよね。集会やデモの先頭に立って、ではな いけど。だって自分に無理のない方法でやらないとしんどいでしょう。だから俳優の山本太郎くんと仕事がしたい。脱原発を主張していてつらいと思うから」

 横浜のコンサートで、歌った1曲「怒りの鐘を鳴らせ」にこんな一節があった。
 ♪目をさませ いくじなし お前が やるのだ

 還暦を過ぎ、タオルを巻いてても、この人はカッコいい。多分、若い頃よりも。
==============
 「ザ・特集」は毎週木曜掲載です。ご意見、ご感想はt.yukan@mainichi.co.jp ファクス03・3212・0279まで

(転載終わり)

(毎日新聞) 女の気持ち:ジュリーへ一筆 横浜市西区・岩田利子(無職・80歳)(2012年04月10日 東京朝刊) http://mainichi.jp/feature/news/20120410ddm013070142000c.html (2012年4月11日閲覧)(全文転載)

 「ザ・特集」の「沢田研二さんに会いに行く」(3月8日)を読みました。ジュリー、あなたはやっぱり格好いい。この年でファンレターは気恥ずかしいけど、一筆です。

人はいや応なく年をとっていきます。かつて「ザ・タイガース」の大ファンだった私も、今や老女。「平和オタク」と言われながら憲法9条を守るデモにも、脱原発のパレードにも欠かさず参加しています。

反骨のロック歌手と言われ、反戦から人権、環境、反権力まで歌い続けた忌野清志郎さん。彼はとっくに原発のうさん臭さを見抜き、ロックのリズムに乗せてきました。

だから、彼の早過ぎる死には涙しましたが、世の中捨てたものではありません。あのジュリーが「我が窮状」を発表し、今度は脱原発です。

還暦を過ぎたジュリーは、9条改正の動きに胸を痛め、9条の窮状を同じ思いの人や若い世代へと呼び掛け、今また脱原発への思いを歌に託しました。

 20代のころの激しさはないけれど、「頑張ろう」ではなく、「きっと大丈夫」と言い合える曲を作りたかったという彼の言葉に、時代の寵児(ちょうじ)だった沢田さんは、人生を重ねるほどに大輪の花を咲かせていると思いました。

それにしても、日本の平和や地球環境を守るのは、我々戦中派がいてこそと思い上がっていた私。戦後生まれが火種を絶やさず、時に炎の勢いを見せてくれることに、もう老いの愚痴は言うまいと決めました。

(転載終わり)


F.A.P.P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)  
作詞:沢田研二  作曲:柴山和彦

太陽と放射能 冷たいね
子供はみんな校舎の中育つ
死の街は死なない かけがえのない大事なふるさと
我が家へ帰れない 希望はあるけど
こんなにしたのは誰だ

BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
苦しみは いつも複雑すぎる 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 終息していない福島

地球が怒る 何度でも
大人はいつも 子供を想い悩む
死の街が愛しい あらゆる不安に苛まれても
偽善や裏切りも これ以上許すの
何を護るのだ国は

BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
哀しみはは ひとりひとりで違うよ 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND へこたれないで福島

NO 長崎  MORE 広島
人は何故 繰り返すのか あやまち 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 世界が見てる福島
世界が見てる福島

【動画】【沢田研二(Julie)】 F.A.P.P  

Uploaded by on Mar 26, 2012


【関連ブログ】

大津留公彦のブログ2 この曲の登場で「我が窮状」は救える!
同上 沢田研二さんの「わが窮状」 テレビ初出演

Saturday, April 7, 2012

XII.9.環境省が、米エネルギー省主催の環境浄化についての日米ワークショップ(非公開)に参加

環境省のHPに掲載の「環境報道資料」によれば、2012年2月13日~15日、米国ワシントン州ハンフォード元プルトニウム精製施設で非公開で開催された、米国エネルギー省主催の「除染等に関する日米ワークショップ」に出席した。

だが、インターネット検索した限りでは、共同通信やロイターなどの通信社をはじめ、国内の報道機関によるこのワークショップについての報道は見当たらなかった。 なぜだろう? このワークショップについての報道機関の沈黙は、2011年10月16日に福島市で開催されたシンポジウム、「環境の再生に向けた除染に関する国際シンポジウム」(主催:内閣府と環境省)についての報道と好対象をなす。

*   *   *   *

ハンフォード元核施設は、第二次大戦中マンハッタン計画のプルトニウム精製施設として建設され、長崎に投下されたプルトニウム爆弾(ニックネーム、Fat Man)を製造した。その後、冷戦中も核兵器用のプルトニウム精製施設として拡張を続け、586平方マイル(1,517平方キロメートル)の広大な敷地に、9基の原子炉と関連施設を持つ複合核施設となった。1944年から1987年までプルトニウムを製造したが、原子炉は順次廃炉にされ、1988年に最後の原子炉が廃炉になった。現在、土壌や地下水の汚染、廃炉になった原子炉の処置、残されたプルトニウムの貯蔵、処理、最終処分などの複合的な環境浄化問題に加え、周辺住民への健康被害など、さまざまな問題を抱えている。ハンフォードは、西半球で最悪の環境汚染地域であり、米国で最も金のかかる環境浄化事業、最大の公共事業とされている。

だが、環境事業はエネルギー省の管轄ではあっても、実際には私企業に委託され、私企業に利潤をもたらす事業として行われている。例えば、2003年のイラク侵攻のあと、6億8千万ドルに上るイラク再建事業を受注したが問題が続出して批判された米国最大の建設・エンジニアリング企業、べクテルも、ハンフォードの受注業者のひとつである。ベクテルは他に、米国、トルコ、英国などで発電所、石油精製所、水道、空港を所有・経営もしている。

そして、米国の地方紙、Tri-City Herald の報道では、先の日米ワークショップには、こうした業者も参加したとされている。

2月のワークショップでは、具体的に誰が出席し、何が話し合われたのだろうか? それは、環境庁の「環境報道資料」ではまったく触れられていない。 なぜ、この秘密主義? また、報道機関は、なぜそれを調べて報道しようとしないのだろうか?

また、Tri-City Herald紙は、2月のワークショップは二度目で、第一回は10月に東京で行われた、としている。だが、環境庁ホームページにもその情報は掲載されていないし、 報道機関による報道も見当たらない。 これはどういうことだろうか? (Tri-City Herald紙が、10月の福島市でのシンポジウムを「日米ワークショップ」の第一回と勘違いした可能性はあるのだろうか。。?)

【「除染等」に関するワークショップという 環境省の表現について】

環境省のHPでは、2月13-15日にハンフォードで行われたワークショップを<除染等>に関する日米ワークショップと表現している。

だが、米エネルギー省のハンフォードHPでも、Tri-City Herald紙の記事でも、使われている英語は「cleanup」である。 これには、現在日本で行われている「除染」(汚染した表土を取り除いたり、水などで汚染物質を流したり、という意味での)よりも、はるかに広い範囲の環境浄化対策が含まれる。「Cleanup」には、土壌の除染だけでなく、地下水の浄化、核廃棄物の貯蔵、処理及び最終処分、貯蔵プールからの損傷した使用済み燃料やごみの取り出し、なども含まれるのである。こうした「cleanup」の全体像を見るとき、日本で今行われているような除染は、そのごく一部にすぎないことがわかる。

それを、いくら「等」という字を加えているとはいえ、「除染」を前面に出すのは、原発事故以後の環境浄化が今行われている「除染」の延長上にあるような印象を作り出し、ひいては、核廃棄物の貯蔵、そこからの放射性物質の漏れ出し(現にハンフォードで起きている)、ひいては最終処分という、もっと困難な浄化問題を見えなくさせることになる。日本政府の除染への力の入れ方と、原発事故「収束」を宣言して「通常営業」を装いたい政府・財界の意向を考えると、「除染さえすれば大丈夫」という印象を国民の中に広めようという意図が、環境省にはあるのかもしれない。

こうした点にかんがみ、この投稿では、「cleanup」を、「(環境)浄化」と訳しています。 現在日本で行われているような「除染」は「decontamination」ではないかと思われます。

*   *   *   *


(環境省HP)「報道発表資料」のページから転載 http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=14859

平成24年2月21日

米国エネルギー省主催除染等に関する日米ワークショップの開催結果について (お知らせ)

環境省は、米国エネルギー省主催により2月13日~15日に米国ワシントン州ハンフォードで開催された、除染等に関する日米ワークショップに出席しました(本ワークショップは非公開で行われました)。

1.背景 ・ 目的

平成23年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原発の事故への対処に役立てるため、米国ワシントン州ハンフォード において、最新の技術を用いた除染や、政策 ・ 計画等関連する事項に関し、経験や知見の共有を進めることを目的に、米国エネルギー省主催の除染等に関す る日米ワークショップが開催されました。

2.ワークショップの概要 ・ 結果

(1)
平成24年2月13日~15日に、米国ワシントン州ハンフォードにおいて、米国エネルギー省主催の除染等に関するワークショップが開催され、日米の政策担当者 ・ 研究者 ・ 専門家等約90名が参加しました。
(2)
参加者は、ハンフォードの核関連施設跡地等においてエネルギー省により実施されている廃棄物処理や地下水浄化等の取組状況につき現場を視察するとともに、同地を含め米国各地で行われている除染等の実施事例や技術につき、米国エネルギー省や環境保護庁 の担当責任者等から詳細な説明がなされました。
(3)
日本側からは、放射性物質汚染対処特措法の制定等の除染の枠組みの整備、除染モデル事業やモニタリング等取組の進捗状況、除去土壌等の処理に関する考え方や除染ロードマップ等今後の進め方に関して紹介を行いました。
(4)
環境省としては、今回のワークショップを通じて得られた米国の取組に係る情報等を、今後我が国が除染等の取組を進めるに際しての参考として活用していきたいと考えています。
連絡先
環境省水・大気環境局
代表    03-3581-3351
直通    03-5521-8289
室長    大村 卓 (内線6582)
室長    関谷 毅史(内線6772)
課長補佐 行木 美弥(内線6188)
係長    黒田 景子(内線6560)
(転載終わり)

(環境省HP)「報道発表資料」のページから転載  http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=14809

平成24年2月10日

米国エネルギー省主催除染等に関する日米ワークショップの開催について(お知らせ)

環境省は、米国エネルギー省主催により2月13日~15日に米国ワシントン州ハンフォードで開催される、除染等に関する日米ワークショップに出席します。(本ワークショップは非公開で行われます。)

1.背景・目的

平成23年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原発の事故への対処に役立てるため、今般、米国ワシント ン州ハンフォードにおいて、米国エネルギー省主催の除染等に関する日米ワークショップが開催されることになりました。最新の技術を用いた除染や、政策・計 画等関連する事項に関し、経験や知見の共有を進めることを目的としたものです。

2.ワークショップの概要

(1)日程
平成24年2月13日(月)から15日(水)
(2)場所
米国ワシントン州ハンフォード
(3)主催者
米国エネルギー省
(4)参加者(予定)
米国エネルギー省、米国環境保護庁、日本政府の実務担当者及び専門家
(5)内容
○米国の除染・廃棄物処理に関する知見紹介 ○日米の専門家の意見交換 ○米国の除染等に関するサイト視察
なお、ワークショップは非公開で行いますが、ワークショップ終了後、結果の概要を公表する予定です。
【参考】
米国ワシントン州ハンフォード:マンハッタン計画に基づきプルトニウム精製が行われた場所。現在精製は行われていないが、米国内最大の規模で核廃棄物や汚染土壌等の処理が進められている。
連絡先
環境省水・大気環境局
代表    03-3581-3351
直通     03-5521-8289
室長    大村 卓 (内線6582)
室長    関谷 毅史(内線6772)
課長補佐 行木 美弥(内線6188)
係長    黒田 景子(内線6560)

(転載終わり)

(Tri-City Herald)Japanese delegation in Tri-Cities this week to talk radioactive contamination cleanup 
(Feb. 16, 2012) http://www.tri-cityherald.com/2012/02/16/1828329/japanese-delegation-in-tri-cities.html (2012年4月7日閲覧)(一部を抜粋、翻訳)(太字強調は投稿者)

今週、放射能汚染浄化の専門家との会合のため、日本からの代表団がトライ・シティーズ(投稿者注:Kennewick, Pasco, Richland)を訪れている。

これは、福島原発事故以来、エネルギー省の専門家と日本の専門家の間で情報交換のために行われる二度目のワークショップである。一回目は、10月に東京で開催された

ワークショップでは、米国と日本の研究者を集め、福島での浄化努力の一助とするために浄化の経験や教訓を共有する。米国全土のエネルギー省管轄の核施設からの情報が共有される。

ワークショップには、エネルギー省、各地の国立研究所、環境庁、浄化事業を請け負っている業者(ハンフォードも含む)などが参加する。

議論されるテーマは、土壌と地下水の浄化、放射性廃棄物の貯蔵、処理及び処分、貯蔵プールからの損傷した使用済み燃料やごみの取り出し、原子炉の停止と廃炉、そして日本との公けのコミュニケーション、である。

(抜粋終わり)

【関連報道・書籍】

(中国新聞)21世紀 核時代 負の遺産 ハンフォード核施設 上 (2002年2月24日) http://www.chugoku-np.co.jp/abom/nuclear_age/us/020224.html (2012年4月7日閲覧)

同上 ハンフォード核施設 下 (2002年3月3日) http://www.chugoku-np.co.jp/abom/nuclear_age/us/020303.html (2012年4月7日閲覧)

田城 明著 『現地ルポ 核超大国を歩く』(岩波書店)http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0227320/top.html
 (上記連載の単行本化)

【関連ブログ】

2012/03/25
環境省が2月に米国ハンフォードで非公開の除染ワークショップ。アメリカの除染企業CH2M HILLが、除染利権に参入する可能性が益々高まった。

米社、日本で除染ビジネス CH2Mヒル 日経新聞12710,31面より

【関連情報】

(JAEA福島技術本部HP)「環境の再生に向けた除染に関する国際シンポジウムの開催について 」(平成23年10月16日) http://www.jaea.go.jp/fukushima/decon.html

(河北新報)除染範囲や方法を議論 海外事例も報告 福島でシンポ(2011年10月17日) http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20111017_03.htm (2012年4月7日閲覧)(全文転載)

放射性物質を取り除く除染の海外事例を東京電力福島第1原発事故に遭った福島県で役立てようと、国内外の専門家による国際シンポジウムが16日、福島市で 開かれた。ロシア政府の専門家は、チェルノブイリ原発事故(1986年)から3年にわたって30キロ圏内などを除染し、約70年の生涯で受ける被ばく線量 を10%低減できたことなどを説明した。

シンポジウムは内閣府と環境省の主催。専門家によるパネル討議では、除染すべき範囲の設定について複数の専門家が「市民がリスクを理解することは非常に重要。人体が受ける被ばく量の低減を第一に、経済性も考慮して決めるべきだ」と言及した。

また「除染の方針などの決定について、市民の価値観も反映するべきだ」との意見が相次ぎ、米エネルギー省の研究機関の大西康夫博士は、汚染土壌の仮置き場について「設置場所の選定に際し、地元住民と最初から話し合うことが大事だ」と指摘した。

パネル討議などに先立ち、細野豪志環境相が「福島の再生の鍵を握るのは除染だ。継続的に国際社会からアドバイスをもらえる態勢をつくっていく」とあいさつ。

福島県の佐藤雄平知事は「放射線量を気にして生活するのはつらいことだ。県民は安全基準を希求している」と訴えた。

また国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が「住民が元通りの生活に戻れるよう、日本政府に対し復旧計画や廃棄物管理計画について助言していく」とのビデオメッセージを寄せた。

(転載おわり)



(SankeiBiz)【放射能漏れ】「生涯被ばく10%低減」 除染シンポで海外事例 (2011.10.16 20:44) http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/111016/cpb1110162044001-n1.htm (2012年4月7日閲覧)(全文転載)


放射性物質を取り除く除染の海外事例を東京電力福島第1原発事故に 遭った福島県で役立てようと、国内外の専門家による国際シンポジウムが16日、福島市で開かれた。ロシア政府の専門家は、チェルノブイリ原発事故 (1986年)から3年にわたって30キロ圏内などを除染し、約70年の生涯で受ける被ばく線量を10%低減できたことなどを説明した。

シンポジウムは内閣府と環境省の主催。専門家によるパネル討議では、除染すべき範囲の設定について複数の専門家が「市民がリスクを理解することは非常に重要。人体が受ける被ばく量の低減を第一に、経済性も考慮して決めるべきだ」と言及した。

また「除染の方針などの決定について、市民の価値観も反映するべきだ」との意見が相次ぎ、米エネルギー省の研究機関の大西康夫博士は、汚染土壌の仮置き場について「設置場所の選定に際し、地元住民と最初から話し合うことが大事だ」と指摘した。

(転載終わり)

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2012年4月13日投稿

米国エネルギー省のプレスリリースによると、2月29日から3月7日にかけて、9名の東電社員が、エネルギー省管轄のサバンナ・リバー国立研究所とサバンナ・リバー核施設(サウスカロライナ州)とパシフィック・ノースウエスト国立研究所(ワシントン州)を訪れ、国立研究所の専門家との意見交換や核施設見学を行った。これは、4月7日に投稿した、米エネルギー省と日本の環境省共催の2度のワークショップを受けて行われたものだという。The TandD.comによると、東電社員の訪問は米国エネルギー省の招待によるという。ということは、東電社員の渡米・米国滞在の費用は米エネルギー省が負担したのだろうか?

エネルギー省のプレスリリースによると、この二つの国立研究所は、米国核施設の廃炉や除染の経験があるので、東電福島第一原発事故以来、米日政府への助言や、事故対策や復旧のための戦略作りの支援をしてきたという。環境省とのワークショップといい、今回の東電社員の訪問といい、東電福島第一原発事故の収束と廃炉、その後の浄化という長期的な視野からすると、重要な動きだ。 また、米国政府のこうした支援は、核産業のグローバルな性格を表していると言えるだろう。

だが、これらの動きを日本の報道機関は、通信社も含め、報道していない。なぜだろう? また、東電もホームページでは報告していないようだ。東電原発事故の収束と後始末が非常に長期にわたることを隠したいのだろうか? 日本政府や東電が米国政府・核産業と緊密に連携し合っていることを知られたくないのだろうか?

(US Department of Energy 米国エネルギー省)TOKYO ELECTRIC POWER COMPANY VISITS DEPARTMENT OF ENERGY LABS AIKEN, SC (March13, 2012) [東電がエネルギー省の研究所を訪問 サウスカロライナ州アイケン発(2012年3月13日)] http://www.scribd.com/doc/86829852/Tokyo-Electric-Power-Company-Visits-Department-of-Energy-Labs (2012年4月13日閲覧)

(Savannah River Site Facebook) Tokyo Electric Power Company Visits Department of Energy Labs  http://www.facebook.com/note.php?note_id=347194655321918   (March 14, 2012) (2012年4月13日閲覧)[上のプレスリリースと同じ内容]

~一部を抄訳~

東電の9人が米国エネルギー省の二つの国立研究所(サバンナ・リバーSRNLとパシフィック・ノースウエストPNNL)とサバンナ・リバー・サイト(SRS)を訪問した。SRSとSRNLが2月29日から3月2日、PNNLが3月5-7日。

この訪問は、先に東京とワシントン州で行われた2度のワークショップを受けて行われたものである。

SRS/SRNLでは、東電とSRSの専門家によるプレゼンテーションのほか、いくつかのSRSプロジェクトとSRNLとサバンナ・リバー・レミディエーション(SRR)の施設を見学した。

東電の代表団は、PNNLとSRNLの専門家と、次の問題について話し合った。放射線検出、放射性核種の運命と移行、汚染水の処理と再利用、使用済み燃料の検査と特性評価、原子炉サイトの安定化と除染、周辺地域の汚染された土壌、生物相、水の特性評価、改善、コントロールの方法など。

PNNLとSRNLの研究者は、東電福島第一の事故以来、米日政府のへの助言をし、事故対策と復旧のための戦略づくりを支援してきた。

(DOE Pulse) Tokyo Electric Power Company visits DOE labs  (April 9, 2012)  http://www.ornl.gov/info/news/pulse/no360/feature.shtml (2012年4月13日閲覧)[内容は上の二つの記事と同じだが、写真付き]

  TTEPCO's visit to SRNL's shielded
cells facility.
 






【関連報道】

(中国新聞)21世紀 核時代 負の遺産 サバンナ・リバー・サイト核施設 (2002年3月31日) http://www.chugoku-np.co.jp/abom/nuclear_age/us/020331.html (2012年4月13日閲覧)
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2012年5月15日投稿

ジョセフ・トレント著、酒井泰幸訳 「法の抜け道を使って日本のプルトニウムを蓄積を助けたアメリカ:NSNS ジョセフ・トレント論説 US Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Plutonium」 http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/05/nsns-us-circumvented-laws-to-help-japan.html
(2012年5月15日閲覧)(太字は投稿者)

[酒井泰幸氏による前文: もはや公然の秘密となった日本の核武装計画と表裏一体をなす、アメリカ側の暗黒史が明かされた論説。プルトニウムが世界平和にとって重大な不安定要因であることを熟知していたカーター大統領の手によって、核拡散の歯止めとなる法律が制定されたが、アメリカの増殖炉計画が資金的・技術的に頓挫したとき、これを丸ごと日本に移転して温存を図ろうとしたのは、レーガン政権の核エネルギー特使リチャード・ケネディーとその一派だった。一方の日本は、第二次大戦中の核兵器研究から連綿と続く研究者と、アメリカの核の傘を不安視する佐藤栄作らの政治家によって、核燃料サイクルと宇宙ロケット開発を隠れ蓑に、核兵器技術開発が着々と進められていた。この二つの思惑が絡み合って、危険極まりない核物質の海上輸送が正当化され、日本はプルトニウムの蓄積量を止めどなく増加させてしまった。軍事技術に情報公開の透明性など期待できるはずもなく、数々の事故と隠蔽が繰り返され、その行き着く先に福島原発事故が起きてしまった。]

アメリカ合衆国は意図的に、日本がアメリカの最高機密である核兵器製造施設に立ち入ることを許し、何百億ドル(訳注:数兆円)もの税金を投じたアメリカの研究成果を日本に横流しして、日本が1980年代以降70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積することを可能にしたことを、米国の国家安全保障問題専門通信社の国家安全保障通信社(NSNS)の調査が明らかにした。日本で核兵器製造計画に転用される可能性のある機密核物質の管理に関して、これらの動きは繰り返し米国の法律に違反した。CIAの報告書により、日本で1960年代から秘密の核兵器計画があることをアメリカ合衆国は察知していたことが、NSNSの調査で判明した。
 アメリカの機密技術の横流しは、レーガン政権下、百億ドルの原子炉を中国に輸出することを許可した後から始まった。日本は、機密技術が潜在的な核戦争の敵国に売却されようとしているとして抗議した。レーガン政権とジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)政権は、このような譲渡を禁じる法律や条約があるにもかかわらず、機密技術と核物質が日本に移転されるのを黙認した。米国エネルギー省のサバンナ・リバー・サイトとハンフォード核兵器工場群でのプルトニウム分離に関する高度な機密技術は、何百億ドルもの価値を持つ増殖炉の研究成果とともに、核拡散に対する歯止めがほとんど無いまま日本に引き渡された。この移転プロセスの一環として、日本の科学者と技術者たちはハンフォードとサバンナ・リバーの両施設へ立ち入りを許された