Saturday, February 18, 2012

VIII.5.健康調査や食品検査は「安心してもらう」ため?

自治体などが健康調査や食品検査を行う場合、「安心してもらう」ため、という目的を挙げることが多い。この目的は、実際の被曝の程度を調べてしかるべき対処をするためとか、それ以上の被曝をさせないため、あるいは、食品からの内部被曝を避けるため、といった目的とは明らかに違う。

ひとつには、実際の被曝量、放射性物質摂取量よりも、「安心するかどうか」を最優先している。ふたつめは、「安心する」という結論があらかじめあるように聞こえる。 検査してみなければ「安心」できる量であるかどうかわからないはずなのに、安心させるのが目的だと言う。すると、下の東京新聞の記事のように、はじめから「結論ありき」だったと見られても仕方がないだろう。

さらに、小出裕章・京大助教などの専門家が、放射能には「安全なレベル」などないと説くのに対し。「安心してもらう」のための調査や検査は、「安心してもいい」外部被曝・内部被曝のレベルがあるような印象を広めるのに役に立つ。

こうして自治体や調査機関が、実際の被曝防止よりも「安心させる」ことに重きを置いているように見えるのは、 放射能の害は心理的害、「放射能トラウマ」だ、という考え方と関連があるのだろうか?

(日経新聞)原発事故の健康調査、宮城でも実施へ 子供の甲状腺検査 (2011/10/26 1:55) http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C889DE1E7EBE2EAEAE4E2E0E4E3E2E0E2E3E39180EAE2E2E2(2011年10月29日閲覧)(全文転載)(太字は投稿者)

宮城県は25日、東京電力福島第1原子力発電所事故に関する有識者会議を開き、県南部で健康への影響を調査することを決めた。福島県に隣接する宮城県丸森町の子供を対象に甲状腺の検査などを行う方針。岡部敦・保健福祉部長は「対象年齢や検査項目を詰め、できるだけ早く調査したい」と話した。

会議には久道茂・宮城県対がん協会長ら医療、放射線関係の有識者5人が参加。県内で測定された放射線量については「健康への影響はなく、検査する必要はない」との評価で一致したが、県民の不安を払拭するため比較的線量が高い県南部で、対象を絞って調査することにした。検査対象は最大でも 100人程度の見込み。
(転載終わり)

(河北新報)放射性物質「健康に影響なし」 県有識者会議が報告書 (2012年02月15日) http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120215t13018.htm  (2012年2月19日閲覧)(全文転載)(太字は投稿者)

 福島第1原発事故で拡散した放射性物質が健康に与える影響を探る宮城県の有識者会議(座長・久道茂県対がん協会長)は14日、「科学的、医学的に健康への悪影響は考えられず、健康調査の必要性はない」とする報告書を公表した。

丸森町筆甫、耕野両地区で行った甲状腺超音波検査、ホールボディーカウンターによる内部被ばく検査についても「甲状腺がんの心配はなく、食品中の放射性物質も多くの品目で定期的に測定している」と指摘。両検査の継続は不要と判断した。

報告書は「100ミリシーベルト以下の低線量被ばくの場合、発がんへの影響は他の要因に隠れるほど小さい」とする広島と長崎の原爆被爆者の追跡調査結果を提示。県内で比較的線量が高い福島県境付近の被ばく線量が年間5ミリシーベルト程度であるとして「健康に及ぼす影響はない」と結論づけた

健康不安を払拭(ふっしょく)させる対策としては、放射線に関する普及啓発の強化やがん検診の受診勧奨を挙げた。

報告書は県のホームページ「放射能情報サイトみやぎ」にも掲載した。
2012年02月15日水曜日
(転載終わり)

【関連情報】

1.放射能情報サイトみやぎ 「宮城県健康影響に関する有識者会議」について http://www.r-info-miyagi.jp/r-info/yushikisya/

**宮城県の「放射能情報サイトみやぎ」のトップページには、放射線医学総合研究所ホームページから、このおなじみの表が転載されている。 
■一回あたりに受ける放射線量
身近な事例 放射線量
(μSv/回)
胸部X線コンピュータ断層撮影検査(CTスキャン) 6900
胃のX線集団検診(1回の検査) 600
東京からニューヨーク航空機旅行(往復) 200
胸のX線集団検診(1回の検査) 50
※放射線医学総合研究所ホームページより
「がん協会」の「朝日がん大賞」、昨年度(2011年)は、山下俊一教授に授与。
http://www.jcancer.jp/archive/asahi/ 

(東京新聞)福島の子ども被ばく調査   「問題なし」結論ありき(2011年12月14日)  
一輪の花さまのブログから転載させていただきました。http://blogs.yahoo.co.jp/erath_water/63400979.html (2011年12月14日閲覧)

(転載はじめ)

福島の子ども被ばく調査 

  「問題なし」結論ありき   東京新聞 12月14日

 調査対象は夏以降、事故当初は無視!!

福島県内の子どもに配布した『個人線量計で測った累積放射線量(空間被曝線量の累積値)の結果が、順次公表されている。
一般人の年間被ばく限度1ミリシーベルトを大幅に上回るケースもあるが、専門家は「問題なし」。
対象期間は夏以降が多く、東電福島原発事故発生から数カ月間の大量被曝は無視されている。

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福島県郡山市は8日、小中学生を対象に、10月5日から33日間測定した累積放射線量を保護者に通知した。
平均値は0.12ミリシーベルトで、これは年換算で1.33ミリシーベルト。最大値は0.45ミリシーベルトで、年換算では4.98ミリシーベルトにも達した。
だが、財団法人・放射線影響研究所の大久保利晃理事長ら市アドバイザーの評価は、『健康に影響を与えるような数値ではない」。保護者には個人データとアド バイザーのコメントのほか、「放射線被ばくの早見図」が届けられた。国際放射線防護委員会ICRPが事故後の復旧段階にあびてもよいとしている年間放射線 量1~20ミリシーベルトが太線で囲まれている。

専門家の評価の根拠を市学校管理課に尋ねたが、「総合的な判断」の一点張り。」
「平常時の法的な上限は1ミリシーベルトだが、今は平常時ではない。除染などによって、1ミリシーベルトに近づけようと努力している」と繰り返した。

そもそも、なぜ10月なのか?事故発生から数カ月間はどうだったのか?
福島県が子どもと妊婦計30万人に、個人線量計を配布すると発表したのは6月。県が購入費として、1台あたり1万5千円を補助する事業だ。
郡山市は8月の臨時議会で予算を計上。保護者の意向確認やアドバイザーの人選などに時間がかかったため、配布は10月にずれ込んだ。3月から9月までの被 ばくの影響については(内部被曝を検査する)ホールボディカウンターを導入して対応する」と説明するが、その時期は「早くても来年夏」。

福島市は10月28日、小中学生を対象に9月の約1カ月間実施した累積放射線量の測定結果を保護者に通知した。
平均値は出しておらず、最大値の0.6ミリシーベルトが3人、0.5ミリシーベルトが11人、0.4ミリシーベルトが44人など。
医師らでつくる市健康管理検討委員会の評価は、「健康に影響を与える数値ではない」。現在、10、11月分の結果を分析中だが、それ以降の調査は予定していない。

市放射線健康管理室は「現在の空間放射線量から考えると、妥当な結果だ。今すぐ対処しなければならないようなものではない」と主張。
9月以前の被ばく状況については、研が全県民を対象鬼進めている健康管理調査に「頼るしかない」と言葉少なだった。

県健康増進課によれば、田村市や白河市、川俣町でも測定結果が出ているが、いずれも「健康に影響尾を及ぼすような数値ではない」という。

郡山市では、児童や生徒ら14人が市に学校ごと疎開する措置を求め、福島地裁氷や支部に仮処分を申し立てている。警戒区域と会けク的避難区域以外では、自主避難任せで、あくまでも『定住政策』にこだわる国や行政への批判は根強い。

福島子どものいのちを守る会代表の佐藤幸子さんは、「本気で子どもを守る気持ちはないのだろうか。最近の線量を測定して、大丈夫というようなパフォーマンスはやめてほしい」と憤りを隠さなかった。

(転載終わり)

(さいたま市HPから) http://www.city.saitama.jp/www/contents/1329090086717/index.html (2012年2月19日閲覧)(太字は投稿者)

市立保育園給食の放射性物質検査結果について
   

本市では、保護者や市民の皆様に、保育園給食の安全性について、より一層理解をし、安心していただけるよう市立保育園における給食の放射性物質検査を実施いたしましたので、検査結果及び保育園給食による内部被ばく量の情報提供をいたします。
検査結果及び内部被ばく量について、詳細は以下のとおりです。

―つづきを見る

XIII.10.茨城県東海村の村上達也村長、脱原発を発信

日本初の商業用原発の立地自治体、茨城県東海村。1999年にJCOの臨界事故で、村長自ら村民の避難を誘導した東海村の村上達也村長。2011年7月、原発のある自治体として初めて「脱原発」を宣言し、その後も脱原発の発言を続けている。

(茨城新聞)http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13122844679466
2011年8月2日(火) (2012年1月27日閲覧)(全文転載)
「原発マネーで未来買えない」東海村長、シンポで訴え

【写真説明】脱原発の必要性を訴える東海村の村上達也村長=2日午後、東海村(共同)

福 島第1原発事故を受け、原子力の安全について考えるシンポジウムが2日、東海村舟石川駅東3丁目のテクノ交流館リコッティで開かれ、村上達也村長は「日本 で原発を保有するのは危険が大き過ぎる。『脱原発』の思想、理念に市民権を与え、国民全体で真剣に考えるべきだ」と提起した。

村上村長は「東海第2原発で同じ事故が起きたら東海村は全村避難で、30キロ圏内の約100万人がどうしたかと思うとぞっとする」と述べ、「東海村が原子 力に支えられてきたのは事実だが、われわれの暮らしや未来と原発マネーとは等価交換できないと思う」と会場の住民らに問い掛けた。

シンポは日本原子力学会が主催し同村が後援。同学会調査専門委員会の委員らが福島第1原発事故の概要や原子力のリスクについて講演。原子炉工学が専門の東 京大大学院の岡本孝司教授は事故の最も重要な教訓として▽事故後の対応▽原子力安全の考え方▽津波対策▽全電源喪失対策―の4点が不十分だったと指摘し た。

ほかに各分野の専門家3人が講演し、最後に原子力安全について考えるパネル討論が行われた。住民の関心は高く、定員の倍近い約400人が詰め掛けた。

(TBS)東海村・村上村長、脱原発を改めて表明(2011年8月3日) http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/228.html (2012年1月27日閲覧)(全文転載)

1999年にJCO臨界事故が起き、現在も原子力発電所を抱える茨城県東海村の村長が、原子力の安全に関するシンポジウムで「原発を保有することは危険が大き過ぎる」などと発言し、脱原発の姿勢を改めて示しました。

「私は故郷、暮らし、未来と、原発マネーとは等価交換できないと思う。それをみなさんに問いかけたい」(東海村 村上達也村長)

1997年からおよそ14年にわたって茨城県東海村の村長を務める村上達也村長(68)は、原子力の安全に関するシンポジウムでこのように述べ、「脱原発」の姿勢を改めて示しました。

また、村上村長は福島第一原発の事故で住民が放射線にさらされ続けたことを受け、「住民の命より原発推進政策を維持すること、経産省や東電を守ることが優先された。まるで戦前の軍部のようだ」などと発言し、政府の事故対応を批判しました。

そのうえで福島第一原発の事故後、自動停止し、現在、定期検査に入ってる東海第二原子力発電所の再稼動について、厳しい見解を示しました。

「(今の段階では再稼働は)完全に白紙。政府自体の原発に対しての政策も固まっていない」(村上達也村長)

一方、シンポジウムに参加した住民からは放射能の影響を心配する発言が相次ぎました。

「放射能汚染とそれによる被害は、私どもは好んでなったのではない」

「放射能怖い。知らず知らずに相当浴びている」(住民)

東海村の住民の原発への関心は高く、シンポジウムには会場に入り切らないほどの人が集まりました。(02日19:37)

(転載終わり)

 (茨城新聞)http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13173565151441 (2012年1月27日閲覧)(全文転載)
「金のため魂売らない」臨界事故12年で東海村長訓示(2011年9月30日(金))

【写真説明】「ジェー・シー・オー」臨界事故から12年がたち、朝礼で黙とうする東海村の職員=30日午前9時、同村役場

1999年9月に東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」で起きた国内初の臨界事故から12年となる30日、村上達也村長が村役場の朝礼で「原子力に向き合う姿勢を正し、金のために魂を売ってはならない」と訓示し、脱原発の姿勢を明確にした。

訓示は事故の風化を防ぐため、2009年に始まった。東京電力福島第1原発事故のあった今年は、職員に原子力との向き合い方を再確認させる意味もあるとしている。

朝礼の冒頭、職員約100人が黙とう。村上村長は「政府や東電の事故対応はまったくなっていない」と批判。「原発による経済的繁栄は一炊の夢であり、その結果すべてを失う。人に冷たく、無能な国では原発は持つべきではなく、その資格もない」と述べた。(共同)

(茨城新聞)http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13174534196411(2012年1月28日閲覧)(全文転載)


2011年10月1日(土)
原発を考えるインタビュー 村上東海村長 極めて内省に欠ける国
-2度の原子力事故を目の当たりにして思うことは。その教訓とは何か。

JCO臨界事故も慢心が招いたもので、この国はいつまでも反省しないという印象だ。利益を追求するあまり、原発推進を「国策だ」と言い続け、安全神話を作るなど、極めて内省に欠ける国だということ。JCO臨界事故の時も思ったが、今回も案の定だ。何にも学んでいない。福島第1原発事故の初期対応を見ても、何という国だと思った。

-国の原子力政策、エネルギー政策をどう見るか。震災と福島第1原発事故で見えてきた日本の電力供給の問題点とは。

日本は地震多発地帯で、1900年からの100年間でM8以上の地震回数は世界一という報告がある。そんな国に54基も原発を置いていいのか。正気の沙汰とは思えない。しかし、日本は原子力推進そのものがエネルギー政策で、自然・再生可能エネルギーの発展を封じていた面がある。原発は炭酸ガスを出さないから環境にいいと言い、放射能・放射線の問題にはふたをして、原発の後処理も後世に先送りしてきた。それはまさに、哲学なきエネルギー政策だという気がする。

-「脱原発」は可能か。日本における再生可能エネルギーの可能性は。普及を進める鍵は。

福島第1原発事故を起こした以上、日本は脱原発について真剣に考える義務がある。脱原発を追求しなければならず、できるできないはその次でいい。自然エネルギーについても、ドイツやデンマークなどは既に取り組んでおり、技術開発も進んでいる。日本でも可能性はある。日本人の勤勉さやこれまで蓄積した技術からみても可能だろう。世界最高水準になれると思う。あとは政府のやる気次第だ。

-東海第2原発の再稼働をどのように判断するか。

私は、福島のように全村避難して戻れないとか、東海村が地図上から消えていく、そういう事態にはしたくない。福島の事故で、国は避難した人たちをどう救済するのか。つまり、国がわれわれの安全を保障できるのか。そこが担保されない以上、判断はできない。

津波対策や非常用電源対策の強化だけでは十分ではない。福島第1原発事故の問題も明らかにしてもらわなければならない。ストレステストは、再稼働のための政治的方便ではないか。

それと安全規制体制をどうつくるのか。原子力安全庁の話は出ているが、さっぱり見えない。これも判断の鍵となる。(東海第2原発の再稼働は)今の時点ではまったくの白紙だ。

-最後に、今後の日本のエネルギー政策への提言を。

エネルギー消費を減らして経済のスピードを落とし、思い切って自然エネルギーの導入に向けて政策誘導すればいい。自然エネルギーはこれまで、政府が後押しした電力会社が壁となり入り込めなかった。自然エネルギーに対する助成を、新しい技術開発に向けた投資だと思ってやったらいい。ドイツがやると言っているのに日本でできないわけがない。あとは政治家の決断だ。

(読売新聞)「原子力」の東海村、村長が原発廃炉を国に要請(2011年10月12日11時23分) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111012-OYT1T00347.htm(2012年1月27日閲覧)(全文転載)

日本原子力発電・東海第二発電所を抱える茨城県東海村の村上達也村長が福島第一原発事故後、「脱原発」の姿勢を鮮明にしている。

11日には都内で細野原発相、中川文科相と相次いで会談し、「東海第二原発は廃炉にすべき」などと直談判に出た。一方、村内には廃炉に伴う地域経済への影響を懸念する声が根強く、定期検査後の東海第二発電所の運転再開を巡って議論の長期化も予想される。

「東海第二は原発の立地条件として不適切。また老朽原発である。廃炉にすべきでないか」。村上村長は都内で、両大臣に「半径30キロ圏内に100 万人が住み、避難計画策定は不能」などと訴え、東海第二発電所の廃炉を求める文書を手渡した。原子力安全・保安院に代わる規制体制の早期確立や減原発政策 の具体化も求め、会談後、記者団に「今日は私の考えを示しただけ。国がどう対応するかを見させてもらいたい」と、今後の取り組みを注視する考えを示した。

村上村長は原発事故後、公の場で「人に冷たく無能な国で原発を持つ資格はない」などと国の姿勢を批判する発言を繰り返している。立地自治体の首長 が脱原発発言を繰り返すのは全国でも異例だ。村の2009年度の歳入約199億円のうち、原子力施設に関連する歳入は約60億円と3分の1近くを占める。 東海第二発電所だけに限れば「全体の6~7%」(村幹部)にとどまるが、原発推進派の村議らは「下請け企業が納める法人税や雇用効果など目に見えない影響 もある」と脱原発への懸念を隠さない。

また、村上村長は9月定例村議会などで「東海第二原発が事故を起こせば村全域の避難は避けられず、全村民の意見を問うべき問題」と、運転再開の是 非を問う住民投票の実施にも言及。しかし、議会内には「廃炉にした場合の村民生活への影響など十分な情報が示されていない。隣県で原発事故が収束していな い中、二者択一で冷静な判断を求めることはできない」と反対意見も多く、実現に至るかは不透明だ。

東海第二発電所は東日本大震災で原子炉が自動停止し、現在は定期検査中。11月を予定していた終了時期は延期され、運転再開の見通しはたっていない。
(2011年10月12日11時23分  読売新聞)

(転載終わり)
(茨城新聞)http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13186041998974 (2012年1月27日閲覧)
2011年10月15日(土)
廃炉「要望でなく意見」東海村長、脱原発は再度表明
村議会特別委

【写真説明】村議会原子力問題調査特別委員会で説明する村上達也村長=東海村役場

日 本原子力発電東海第2原発の「廃炉」に言及した東海村の村上達也村長は14日、村議会の原子力問題調査特別委員会(村上邦男委員長)で、細野豪志原発事故 担当相との面談での内容について「東海第2原発を廃炉にすべきではないか、という私の意見をお話しした。要望ではない」と説明。その上で「原発に依存する まちづくりには限界がある。基本的には廃炉だと思う」とあらためて脱原発の姿勢を示した。委員の一部からは「(廃炉発言は)村民全体がそう思っていると受 け取られかねない」など、慎重な言動を求める意見も出された。

村上村長は11日、細野原発事故担当相と面会し、(1)30キロ圏内に約100万人が居住する(2)東京から110キロの首都圏にある-などを理由に、同原発の廃炉に言及。原発立地自治体の首長が廃炉に言及するのは異例で、村議会が村上村長に説明を求めていた。

村上村長は同委員会に説明人として出席。この中で「30キロ圏内に約100万人もいるところに原発があっていいのか。それを鑑みれば廃炉ではないか」と述 べた。ただ、「私1人で決められないし、東海村だけの話でもない」とも語り、周辺自治体との調整が必要との考えも示した。「廃炉」発言をめぐる一連の報道 については、「十分に私の意図が通じていない」と語った。

出席した委員の意見は、村上村長の発言や姿勢について「責任を持って住民を守るための正当な言動だ」「議論を経ずに廃炉を口にするのはいかがなものか」など賛否が分かれた。

一方、村上村長は14日、橋本昌知事と面会し、発言をめぐる混乱について陳謝。今後は県と意見を交換しながら対応する考えを示した。

(転載終わり)
OurPlanet-TV もう原発はいらない!~臨界事故を経験した東海村の村上村長激白~

 Uploaded by on Dec 1, 2011
1999年にJCOの臨界事故で、村長自ら村民の避難を誘導した東海村の村上達也村長。今年7月、原発のある自治体として初めて、「脱原発」を宣言した。

日本で最も古い原発のある茨城県東海村の首長でありながら、「脱原発宣言」に踏込んだ背景にどんな思いがあるのか。NPJ(News for People in Japan)の代表で弁護士の梓澤和幸さんが聞いた。

ゲスト:村上達也(東海村村長)
インタビュー:梓澤和幸(NPJ代表/弁護士)
 
関連サイト
東海村
http://www.vill.tokai.ibaraki.jp/index.html
NPJ(News for People in Japan)
http://www.news-pj.net

(転載終わり)
 
(東京新聞)岐路に立つ原子力 いばらきの決断<5> 村上・東海村長に聞く (2012年1月22日) http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20120122/CK2012012202000057.html(2012年1月24日閲覧)

写真

福島第一原発事故以来、原発の「安全神話」が崩壊し、東海村の日本原子力発電(原電)東海第二原発も「廃炉」と「再稼働」の間で揺れる。福島の事故後、「脱原発」を明確に掲げる村上達也村長に思いを聞いた。 (近藤統義)
-(福島第一原発事故後)放射性物質の拡散を予測するシステム「SPEEDI」の結果がなかなか公表されなかった。情報公開に問題は
(国の考えは)原子力業界を守ろうというのが中心で、住民を守ろうという視点が全くなかった。震災直後、村の放射線量が跳ね上がった際、文部科学 省から出向している職員にSPEEDIについて尋ねたが結局、(拡散予測は)出なかった。炉心溶融も五月にやっと認めたが、村の専門家の間では震災二日後 くらいに(炉心溶融の)話が出ていた。いいかげんというか情報の隠ぺいだ。
-震災の津波で東海第二も過酷事故の可能性があった
それを知ったのは四月初めの村議会の委員会だった。震災当日は、自動停止はすぐに確認したが、詳しい情報は入ってこなかった。通信回線の問題も あったが、原電から原子炉内の温度や圧力など一報が来たのは午後十一時すぎだった。(震災発生から一報まで)八時間ほど空いたのは確かに問題だ。
-住民への説明は五月に入ってからだった
福島の状況から、われわれも住民への説明会を早期に開催すべきだったという反省はある。その点は一方的に原電を非難するわけにもいかない。復旧作業と福島の放射能の問題に気が回っていた。
-村の原子力施設でも過去に何度か情報隠しがあった。原子力関係者による閉鎖的な「原子力ムラ」をどう見るか
国、電力会社、メーカー、建設会社、学界が驚くほどの一体性を持った強固な集団だ。異を唱える者を排除して権力的な構造をつくり、危険性にふたをして原発の利点ばかりを強調する。
福島事故後、少しは変わってきたが、基本的な構造は温存されている。これは戦争遂行のための組織をつくり、国民にプロパガンダを行ってきた戦前の軍事警察国家と同じ。極めてゆがんだ世界だ。
-関西電力大飯(おおい)原発の安全評価(ストレステスト)が妥当とされたが、信頼性は
私は福島事故の戦犯は(経済産業省)原子力安全・保安院や(内閣府)原子力安全委員会だと思っている。権威が失墜した彼らがお墨付きを与えるのでは、何の反省もしていないとしか思えない。
ストレステストは机上の計算で余裕度を測っているが、有効性も分からないし、大丈夫と言われても住民は分からない。国が審査するんだから、おまえらは黙って従えばいいという姿勢に見える。
-原発の寿命を原則四十年とし、さらに二十年延長可能とした政府の方針をどう見るか
数字の根拠は分からないが、方向性が示されたのは一定の前進があった。ところが、担当大臣が表明したのに対し、役人がただちに例外規定を拡大解釈して二十年延長とする。こんなことを言う国は信用できませんよ。
福島事故の原因を追究し、その経験に基づいて規制をしていくべきなのに、結局は現状追認だ。現実にある原発を何とか稼働させたいという思いが見える。原理原則が何もなく、実に情けない国だ。
-「脱原発」への思いは
福島事故への対応を見て、この国は原発を持つ資格はないと分かった。能天気で安全神話にどっぷり漬かっている。巨大科学技術は必ずどこかに陥穽(かんせい)があり、それが破綻したとき、取り返しのつかない惨事になる。私はふるさとを失いたくない。
=おわり

(転載終わり)

(読売新聞)原発最長60年は骨抜き案…東海村長が痛烈批判 (2012年1月19日23時31分)http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120119-OYT1T00033.htm?from=tw (2012年1月27日閲覧)(全文転載)

原子力発電所の運転を原則40年以上は認めないとする原子炉等規制法改正案を巡り、政府が例外として最長20年の延長を認める規定を盛り込む方針を 示したことについて、日本原子力発電・東海第二発電所が立地する茨城県東海村の村上達也村長は18日、「最初から例外を設けるのは現実に妥協した骨抜きの 規制案だ。基準がないことに等しく、これでは国民に信用されない。本当に情けない国だと思う」と厳しく批判した。

さらに、「優柔不断な国では安全を担保できない。基準を超えた原発は、何がなんでも止めるという決断が必要だ」と厳格な運用を求めた。東海第二発電所は昨年11月、運転開始から33年が経過した。現在は定期検査中で、運転再開の見通しは立っていない。
また、橋本知事は18日の定例記者会見で「40年という指標が示されたことはいいことだと思うが、その時々の状況に応じて対応するというのでは、事業者側も地方自治体としても大変困惑せざるを得ない」と懸念を示した。
(2012年1月19日23時31分  読売新聞)

(転載終わり)
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2012年4月3日投稿

【関連情報】

さよなら原発4・1大集会 HP http://anic.sub.jp/home/

 (茨城新聞) http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13332929070096 (2012年4月3日閲覧)

2012年4月2日(月)
「さよなら東海第2原発」ひたちなかの集会に3000人

【写真説明】「さよなら原発4・1大集会inいばらき」に集まった参加者=1日午後、ひたちなか市

「脱原発」を目指して、「さよなら原発 4・1大集会inいばらき」(同実行委員会主催)が1日、ひたちなか市の笠松運動公園で開かれ、全国から参加した約3千人(主催者発表)が「東海第2原発の再稼働をやめさせ、廃炉に」などと訴えた。

同集会は、福島第1原発事故を受け、作家、大江健三郎氏らの呼び掛けで全国展開する「さようなら原発 1000万人アクション」に呼応して企画。全国から労働者団体や女性団体などが集結した。同実行委によると、県内の反原発集会では過去最大規模という。

集会で、呼び掛け人の田村武夫茨城大名誉教授は「原発問題の議論の出発点はストレステストや電力不足ではなく、福島第1原発事故の被害をどう考えるかだ」と訴え、一部原発の再稼働に前向きな政府の方針を批判。

脱原発を表明する東海村の村上達也村長の「福島の悲劇を繰り返さないためにも日本中の原発を停止しなければならない」とのメッセージが読み上げられると、会場から拍手が湧き起こった。

最後に「みんなの力で東海第2原発の再稼働をやめさせ、廃炉を実現しよう」との集会アピールがあり、参加者が「原発ノー」の掛け声とともに風船を空に飛ばした。
(転載終わり)

(毎日新聞)東海第2原発:廃炉を ひたちなか4・1大集会に3000人 アピール採択、パレード/茨城 (2012年4月2日) http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20120402ddlk08040045000c.html (2012年4月3日閲覧)(全文転載)

日本原子力発電東海第2原子力発電所の廃炉を目指し、ひたちなか市佐和の笠松運動公園で1日、「さよなら原発4・1大集会inいばらき」が行われ た。各種団体や市民約3000人が参加。「東海第2原発の再稼働をやめさせ、廃炉を実現しましょう」とのアピール文を採択し、東海第2原発前など3カ所を 目指してパレードした。

県労働組合総連合などで作る実行委員会が主催。県内113団体に加え、埼玉労連など県外の団体も参加した。会場内では、飲食模擬店や交流テントが設けられ、「原発損害賠償無料法律・税務相談」も行われた。

集会では、呼びかけ人代表の田村武夫・茨城大名誉教授が「一回りも二回りも声を大きくして、再稼働は嫌と知事が言うように追い詰めていきましょ う」とあいさつ。県議が東海第2原発の廃炉を訴えたほか、福島県浪江町の馬場有町長や東海村の村上達也村長のメッセージなどが読み上げられた。

また、北茨城市内で無農薬農業を営む男性や福島県民ら6人によるリレートークも行われた。福島県富岡町から避難し、現在は水戸市で生活を送る木田 節子さん(58)は、国内で原子の火が初めてともったのは東海村だったことに触れ「村のプライドのため、東海第2原発は止めるべき。原発関連で働く家族の 気持ちはわかるが、被ばくしながら給料をもらう所には行かないでと言うべきではないか」と訴えた。【杣谷健太】

毎日新聞 2012年4月2日 地方版

(転載終わり)

(47News/共同通信) 茨城で3千人参加し脱原発集会 東海第2原発の廃炉訴え2012/04/01 19:11)  http://www.47news.jp/CN/201204/CN2012040101001795.html (2012年4月3日閲覧)(全文転載)


 「さよなら原発4・1大集会inいばらき」に集まった参加者=1日午後、茨城県ひたちなか市

 茨城県東海村にある日本原子力発電東海第2原発の廃炉や、自然エネルギーへの転換を訴える「さよなら原発4・1大集会inいばらき」が1日、同県ひたちなか市で開かれ、県内外から市民団体メンバーや家族連れら約3100人が参加した。

茨城大の田村武夫名誉教授(憲法)ら9人の呼び掛け人と実行委員会が主催。東海第2原発の老朽化による危険性を有識者が訴え、母親たちは放射能から子どもを守ろうと呼び掛けた。

東京電力福島第1原発事故で福島県富岡町から水戸市に避難している木田節子さんは「わが家の風景を夢に見て、目が覚めると涙がこぼれた」と避難直後の生活を回想した。

2012/04/01 19:11   【共同通信】
(転載終わり)

【動画] さよなら原発4.1大集会inいばらき http://www.youtube.com/watch?v=TFeFC3dfVKA

 Uploaded by on Apr 2, 2012
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2012年4月5日投稿

(NHK) 東海村長 “東海第二原発を廃炉に” (4月4日 23時30分) http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120404/k10014221441000.html (2012年4月5日閲覧)(全文転載)

茨城県東海村の村上達也村長は、4日、枝野経済産業大臣と会談し、地元にある日本原子力発電の東海第二原子力発電所は、人口密集地に立地しており、事故が起きた場合の被害が甚大だなどとして、廃炉にすべきだという考えを伝えました。

東海村の村上村長は、東京電力福島第一原発の事故のあと、地元にある東海第二原発は人口密集地に立地しており、事故が起きた場合の被害が甚大だなどという認識を示しています。

4日の枝野経済産業大臣との会談で、村上村長は、東海第二原発は永久に運転を停止し、廃炉にすべきだという考えを伝えました。

また、脱原発依存を掲げる国のエネルギー政策については、原発の数を減らす具体的な行程表を早急に示すよう求めました。

これに対して枝野大臣は「エネルギー政策は地域の意見がまちまちで、まだ固まっていないが、早く明確にしなければならないと思っている」と述べましたが、東海第二原発の廃炉について具体的な言及はしませんでした。

会談のあと、村上村長は記者団に対し、「枝野大臣も、私の考え方についてはかねてから関心は持っていたようだが、今回の要望について明確な具体的な回答はなかった。今後とも話し合いをしていきたい」と述べました。

(転載終わり)
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2012年4月25日投稿

(東京新聞 茨城)原電などの新年度事業 東海村長が議会説明拒否(2012年4月24日) http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20120424/CK2012042402000103.html(2012年4月25日閲覧)(全文転載)

「脱原発」の方針を掲げる東海村の村上達也村長が東海第二原発を運転する日本原子力発電(原電)など原子力事業者の二〇一二年度事業について、村議会への説明を自ら行わない方針であることが二十三日分かった。

村議らによると、村長ら村執行部はこれまで毎年度初め、原電や日本原子力研究開発機構など事業者から説明を受け、それを村議会全員協議会で説明していたという。

村上村長は拒否の理由を「私が説明すると事業に納得したと思われる。議会も二元代表制と言う以上、直接、説明を受ければいい」と話す。

このため一二年度は村執行部とは別に事業者が直接、議会の原子力問題調査特別委員会で説明する。

(転載終わり)
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2012年4月28日投稿

(東京新聞) 脱原発 「国に任せられぬ」 首長会議きょう発足 村上・東海村村長
(2012年4月28日 07時02分) http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012042890070238.html (2012年4月28日閲覧)(全文転載)

首長会議の役割と脱原発への思いを語る村上達也村長=茨城県東海村で(林容史撮影)

写真
原発再稼働へと政府が大きくかじを切る中、原発ゼロを訴え、「脱原発をめざす首長会議」が二十八日、東京都内で発足する。原発立地自治体の中で唯 一の会員で、全国の首長に参加を呼び掛けてきた茨城県東海村の村上達也村長(69)は、本紙のインタビューに「住民の命と財産に及ぶ政策を国だけに任せて おくわけにはいかない。首長会議は、政治にインパクトを与えるはず」と意欲を語った。 (林容史)

首長会議には、三十五都道府県の首長・ 元首長六十九人が会員として名を連ねる。二十八日の設立総会には、顧問の佐藤栄佐久前福島県知事ら三十四人が出席する予定だ。「これだけの首長が顔をそろ え、国にものを言えば大きな影響力を持つ。新しい地方主権、民主主義の動きだ」と村上氏は力説する。

◆政府は世論を読めていない

東海村は東海第二原発(日本原子力発電)を抱え、東日本大震災では、自身もあわやの危険を感じた。いまの国の動きは、なし崩し的に原発を再稼働しようとしているようにしか見えない。「政府は一年以上たっても脱原発の世論が読めていない」といら立ちを隠せない。

設立総会では、自らの思いも発表するつもりだ。「福島の原発事故の被害の実態を見てください。なぜ脱原発にならないのか、私は不思議に思う」。故郷に戻れ ない被災者のこと、魚や野菜など農産物を出荷できず死活問題に直面している人が多数いること。放射能被害の天文学的数字と底なしの不安。「人口が密集する この狭い国土に、原発を持つということについて真剣に考える必要がある。これは目先の利益ではなく、われわれ日本人の品格にかかわる問題だ」と訴える。

東海村では一九九九年、核燃料加工工場ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で国内初の臨界事故が発生。村上氏は村長として国や県の対応を待たず、いち早く住民を避難させるため陣頭指揮を執った経験がある。

目に見えない放射能の恐怖を身をもって知ったが、それでも「国策」である原子力政策に異を唱えることはできなかった。それは国に真っ向から歯向かうことを意味したからだ。まして、原子力の恩恵でうるおってきた自治体の長が唱えれば、異端として排除されかねなかった。

しかし、東京電力福島第一原発事故がすべてを一変させた。

昨年十二月、首長会議の設立を準備していた静岡県湖西市の三上元市長が訪ねてきた。「一緒にやろう」との誘いを快諾した。「原発が立地する市町村の住民の中には、いろいろな利害関係はあるが、福島原発事故を経験し、たじろいでいる場合ではなかった」と振り返る。

これからは「脱原発依存」を言いながら、具体的な道筋を示せない政府を、首長会議として脱原発へと後押ししていく考えだ。

◆全基の廃炉へ 国有化要請も

村上氏は「全国原子力発電所所在市町村協議会」(全原協)の副会長を十四年以上務めてきたが、五月に都内で開かれる総会で、職を辞すという。「全原協は、 電源交付金を要求しながら、経済産業省と一体となって原発を推進してきた。福島原発事故を防げなかったことに副会長として責任を感じる」と打ち明ける。

全原協の総会の場では、枝野幸男経済産業相に、持論をまとめた「脱原発依存のための制度設計」を突き付け、電力業界にメスを入れて、国内の全原発を将来的な廃炉に向けて国有化するよう迫るつもりだ。
(東京新聞)

(転載終わり)

【関連リンク】「脱原発をめざす首長会議」が発足(4月28日) http://johosousa.blogspot.com/2012/04/blog-post_28.html
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2012年5月21日投稿

(東京新聞【茨城】) 原発国有化で廃炉を 東海村長と鎌仲監督対談(2012年5月20日) http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20120520/CK2012052002000158.html (2012年5月21日閲覧)(全文転載)

 写真  

 山口県での原発建設反対運動などを通じ、エネルギー問題を描いた映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の鎌仲ひとみ監督と、東海第二原発を抱える東海村の村上達也村長が十九日、同村の東海文化センターで、原発をめぐる問題について語り合った。映画の上映もあり、約五百五十人が訪れた。村や近隣市の女性グループでつくる実行委員会の主催。

 対談では両者が全原発の国有化を提案。その上で鎌仲監督は「廃炉にするまで国が地元の雇用や生活を保障したらいい」と訴えた。

 さらに、村上村長の「原発反対の中心は女性だ」という認識に対し「原子力安全委員会も男性ばかり。女性なら脱原発ととっくに言っている」と述べると大きな拍手が起きた。

 村上村長が、参加者から「(東海第二原発の)再稼働反対なら国の補助金をもらわなければいい」と問われ、「その心意気は持っている」と応じる場面もあった。 (近藤統義)

(転載終わり)

【関連サイト】

映画「ミツバチの羽音と地球の回転」HP http://888earth.net/index.html
鎌仲ひとみのぶんぶん日記  http://kamanakahitomi.blogspot.jp/

Thursday, February 16, 2012

II.G.6. 2月20日に2度目の東電福島第1原発現地取材-またフリーランスは排除

東京電力 は、2 月9 日、東京電力福島第一原子力発電所の現地取材を2月2 0日に実施することを発表した。 昨年11月12日に続いて2回目。今回はインターネットメディアのIndependent Web Journal とニコニコ動画の参加が許されたが(しかし、代表カメラ1 人のみ)、フリーランス記者や雑誌記者はまたも排除された。

これに対し、「政府・東京電力統合対策室共同記者会見フリーランス連絡会」は、2月13日に細野豪志原発担当相と東電の西澤俊夫社長に対して申し入れを行ったが、連絡会が指定した日時(14日午後6時)までに返答はなかった。

同連絡会は2月16日、記者クラブメディアに対して、福島第1原発現地取材の素材をフリーランスにも提供するよう申し入れを行った。

(1)細野豪志原発担当相と東電の西澤俊夫社長への申し入れ (2012 年2 月13 日) http://www.incidents.jp/_userdata/20120213.pdf (2012年2月16日閲覧)(全文転載)(読みやすさのためにパラグラフの間にスペースを加えました)

(転載はじめ)
細野豪志原発担当相の現地同行取材に関する申し入れ
2 0 1 2 年2 月1 3 日

東京電力株式会社社長殿
原発担当大臣細野豪志殿

政府・東京電力統合対策室共同記者会見フリーランス連絡会
事務取り扱い佐藤裕一寺澤有畠山理仁日隅一雄
回答先0 9 0 - 8 5 0 2 - 8 2 7 7 ( 寺澤)
冠省 東京電力株式会社( 以下、東京電力) は、2 月9 日、東京電力福島
第一原子力発電所( 以下、福一発電所) の現地取材を2 月2 0 日に実施する
旨発表されました。この取材は、細野豪志原発担当大臣の視察に同行する2
回目の現地取材となります。極めて貴重な機会であり、報道に携わる者を通
じて情報を得ている国民も期待を寄せていると思われます。

しかし、発表によると、現地取材が認められているのは、① 新聞社、通信
社( 全国紙、ブロック紙) ② 新聞社( 地元紙) ③ テレビ局( 東京キー局) ④
テレビ局・ラジオ局( 福島地元局) ⑤ 海外メディア⑥ インターネットメディ
アに限定されており、この条件では、福一発電所事故発生後、東京電力記者
会見や政府・東京電力統合対策室共同会見( 以下、共同会見) に出席してき
た者のうち、雑誌記者、フリーランス記者らは参加できません。

前回の現地取材で雑誌記者、フリーランス記者らが参加できなかったこと
を踏まえ、共同会見で政府は、次回はそれらの者にも門戸を開放すると説明
し、東京電力も異議を唱えなかったという事実があります。

そこで、第1 に、雑誌記者、フリーランス記者らについても、静止画と動
- 2 -
画と2 種類の方法による記録が可能にするため、最低でも2 人の参加を認め
るよう求めます。人選については、当連絡会が参加希望者に広く呼びかけ、
公正な方法により行います。

第2 に、現在、インターネットメディアの枠は、代表カメラ1 人のみです
が、編集して報道するためには、カメラとは別に音声を担当する者の参加が
不可欠です。参加が認められたインターネットメディアは動画などのデータ
を自社のみならず、フリーランスなどにも提供する旨明らかにしていますが、
「音声」が欠ければ、せっかくの厚意の意義が小さくなってしまいます。そ
こで、インターネットメディアについても、代表音声1 人の参加を求めます。

第3 に、① ~ ⑤ については、代表スチール、代表カメラ、代表音声の参加
が認められていますが、ここでいう「代表」は、「各カテゴリーの代表」と
いう意味でしょうか。もし、そうだとするならば、報道の役割を誤解してい
るというほかありません。今回の現地取材のような場合に、一部報道機関が
それ以外の報道機関や一般市民よりも優先的に現場を見聞( 取材) すること
が許されるのは、その取材によって得られた情報すべてが市民に伝えられる             ことが前提となっているからです。そうである以上、「代表」とは、「新聞
業界やテレビ業界の代表」「記者クラブの代表」であってはならず、現場へ
のアクセスを希望するあらゆる報道機関・ジャーナリストの「代表」でなけ
ればなりません。よって、① ~ ⑤ の「代表」が記録したすべてのデータにつ             いて、すべての報道機関・ジャーナリストに共有されることを確認してください。

また、細野大臣には、以上のような申し入れが実現するよう、東京電力に
対し、指導をなされるよう要望します。

準備の都合もありますので、申し入れに対する回答は2 月1 4 日1 8 時ま
でにお願いします。
不一

(転載終わり)


(3)記者クラブメディアに対する申し入れ (2012年2月16日)

(寺澤有)フリーランスにも福島第1原発取材の素材を提供するよう申し入れ (2012年 2月16日)   http://www.incidents.jp/news/index.php?option=com_content&view=article&id=417:2012-02-16-05-56-31&catid=1:2010-05-12-10-05-34 (2012年2月16日閲覧)(全文転載)
フリーランスにも福島第1原発取材の素材を提供するよう申し入れ
筆者 - 寺澤有
2012年 2月 16日(木曜日) 15:00 

2月20日に福島第1原子力発電所の現地取材が行われることが決まった。昨年11月12日に続いて2回目。しかし、今回もフリーランスは排除された。

これに関連して、政府と東京電力の共同記者会見に出席していたフリーランスでつくる「フリーランス連絡会」は、2月16日、現地取材に参加する記者クラブメディアに対し、取材で得られた素材をフリーランスにも提供するよう申し入れた。申し入れは新聞社8社、通信社2社、テレビ局6社、福島県政記者 会(記者クラブ)に対し、それぞれファクシミリで文書を送付することで行い、18日18時までに回答するよう求めた。申し入れの全文は下記。

2月20日福島第1原子力発電所現地取材に関する公開申し入れ
2012年2月16日

下記の報道機関のご担当者様
朝日新聞、産経新聞、東京新聞、日本経済新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信、時事通信、福島県政記者会、東奥日報、新潟日報、NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビ
 政府・東京電力統合対策室共同記者会見フリーランス連絡会
 事務取り扱い 佐藤裕一 寺澤有(担当、回答先) 畠山理仁 日隅一雄
TEL 090-8502-8277 FAX 042-589-7172

冠省 東京電力株式会社(以下、東電)は上記の報道機関に対し、2月20日に福島第1原子力発電所の現地取材を許可することとしました。しかしながら、政府・東電統合対策室共同記者会見で現地取材を強く求めてきたフリーランスには、取材枠が与えられませんでした。

そこで、政府・東京電力統合対策室共同記者会見フリーランス連絡会は各報道機関に対し、代表スチールや代表カメラ・音声により得られた素材をフリーランス にも提供していただけるよう申し入れます。各報道機関が個々のフリーランスに対応するのはお手間ですから、素材を当連絡会へ提供していただければ、全員で 共有いたします。

今回の現地取材の「『代表』スチール」「『代表』カメラ・音声」というのは、新聞業界、テレビ業界、記者クラブの「代表」ではなく、ジャーナリズムを実践する者全員の「代表」、広くは国民の「代表」と認識しています。

本申し入れは公益性が高いことから公開で行わせていただき、ご対応やご回答も公開させていただくことを申し添えます。ご回答の期限は2月18日18時とさせていただきます。 不一

(転載終わり)
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2012年2月19日投稿

寺澤有氏によると、フリーランス協会からの申し入れに対し、回答期限とした18日18時までに回答したのは、共同通信のみ。

THE INCIDENTS インシデンツ」より転載  http://www.incidents.jp/news/index.php?option=com_content&view=article&id=419:2012-02-18-12-43-58&catid=1:2010-05-12-10-05-34 (2012年2月19日閲覧)(全文転載)

(転載はじめ)

福島第1原発取材は記者クラブメディアに対する利益供与 
 
筆者 - 寺澤有
2012年 2月 18日(土曜日) 21:45




2月20日、福島第1原子力発電所の現地取材が行われるが、政府と東京電力はフリーランスを排除するこ とを決定した。この事態を受けて、政府と東 京電力の共同記者会見に出席していたフリーランスでつくる「フリーランス連絡会」は、2月16日、現地取材に参加する記者クラブメディアに対し、取材で得 られた素材をフリーランスにも提供するよう申し入れた。

申し入れに対する回答期限は18日18時としていたが、これまでに回答したのは共同通信のみ。その回答は下記のとおり。

「東 京電力福島第1原発公開に際しての取材資料の公開についてですが、今回は限られた時間での調整が不可能で、ご期待に添えないとの結論に至りま した。あしからずご了承ください。なお、同原発内の資料入手については、一義的には東京電力側と交渉されるべきものと理解しております」

残りの記者クラブメディア(下記)は回答しなかった。

朝 日新聞、産経新聞、東京新聞、日本経済新聞、毎日新聞、読売新聞、時事通信、東奥日報、新潟日報、NHK、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テ レビ東京、フジテレビ、福島県政記者会(福島民報、福島民友、河北新報、福島テレビ、福島中央テレビ、福島放送、テレビユー福島、ラジオ福島)

記 者クラブメディア各社は現地取材で得られた素材を自社で利用するのみならず、ほかのメディアへ販売し、利益をあげるとみられる。現地取材が政府 と東京電力の記者クラブメディアに対する利益供与となっていることは明らかだ。このような実態を踏まえれば、記者クラブメディアが伝える現地取材のリポー トなど、眉にツバをつけて見る必要がある。

(転載終わり)
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2012年3月3日投稿

 (OurPlanet-TV) 報道陣が福島第一原発取材へ〜フリーは参加できず
投稿者: ourplanet 投稿日時: 土, 02/18/2012 - 11:56     http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1308 (2012年3月3日閲覧)

明日2月20日、福島第一原発の現場が報道陣に公開される。しかし、昨年11月12日に引き続き、基本的にバスに乗ったままの取材となり、記 者らの行動は厳しく制限される。インターネットメディア2社の同行が初めて許された一方で、フリーランスの記者は今回も同行できないこととなった。

福島第一原発構内の取材を行うのは、昨年11月12日以来今回が2度目となる。前回取材が可能だったのは、内閣記者会加盟社、福島県政クラブ、外国人特派 員協会に加盟しているメディアの記者と映像と写真の代表取材のみ。フリーランスやインターネットメディアなどは対象から外された。

(中略)

このため、「フリーランス連絡会」は、2回目以降の現地取材にはフリーランスやインターネットメディアを参加させるよう求めていたが、今回も、フリーラン スは対象外となった。ただ、ニコニコ動画とIWJ(Independent Web Journal)の2社がネットメディアとして初めて取材を許された。上記2社の取材を認めた理由について、東京電力は、去年3月以降、東電の会見を取材 してきた実績があるためとしている。

今回、取材が認められたのは、
(1)全国紙9人(朝日、産経、東京、日経、毎日、読売、共同、時事)
各社1名+代表スチール1名
(2)福島県の地元紙6人(福島民報、福島民友、河北新報)
東京電力の原発立地地域の新聞(東奥日報、新潟日報)の各社1名+代表スチール1名
(3)テレビの在京キー局8人(NHK、日テレ、TBS、フジ、テレビ朝日、テレビ東京)
各社1名+代表カメラ1名+音声1名
(4)福島県政クラブ加盟放送局7人(福島テレビ、福島中央テレビ、福島放送、テレビユー福島、ラジオ福島)
各社1名+代表カメラ+音声1名
(5)外国人特派員協会5人
加盟社代表2社+代表スチール1名+代表カメラ1名+音声1名
(6)インターネットメディア3人(ニコニコ動画、IWJ) 
各社1名+各社カメラ1名
の以上38名。

―記事全文を読む

(日隅一雄/The News)マスメディア研究者・OB・労組の皆さん、「代表取材は、業界代表」というのが回答のように思えますが…  (2012年2月21日)
http://the-news.jp/archives/10243 (2012年3月3日閲覧)

私が執筆した「マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか」(現代人文社)は、そのタイトルから予想される内容とは全く異なり、マスコミの偏向ぶりを指摘 するような著作ではなく、日本ではマスメディアの置かれた環境(制度)がいかに表現の自由を制約するものとなっているのか、を説明するものでした。した がって、「マスメディアを擁護しすぎ」、「マスメディアにも問題があるのではないか」という批判をいただくこともあります。私の「法制度に問題がある」と いう確信はまったく変わりませんが、福島第一原発の代表取材の素材を業界内でのみ共有するというスタンスを維持することについては、「できることくらい やったら」という気持ちにならざるを得ない。

―つづきを読む


(Independent Web Journal) 2012/02/20 【特別番組】福島第一原発入構取材レポート (2012年3月3日閲覧)

2012年2月20日(月)、岩上安身とIWJスタッフの技術・動画チーフの古田が福島第一原発へ入構取材を行い、この日は特別番組が組まれた。

インターネットメディアとしては「ニコニコ生放送」とともに、IWJが代表取材。技術面ではカメラ撮影担当としてニコニコ生放送が、音声はIWJが担当し、混成チームを編成。今回の取材の内容は全てノーカットで配信した。

これらは著作権の主張も無いこととし、国民の方々・海外メディア・新聞テレビその他各種メディア等へ全て公開、自由にお使い頂けるようにする。

また今回の特別番組では、<第一部>として東電会見でもおなじみの日隅一雄氏、木野龍逸氏をゲストとしてお招きし、これまでの原発事故報道の流れ、ジャー ナリズムに付随する問題等、様々な点からの解説が行われた。司会進行としては前田真里氏、IWJスタッフの佐々木隼也が担当。

<第二部>としては、現地取材終了後にスタジオに合流した岩上と古田が、現地取材動画の配信を含め、構内の模様、作業員の方々の様子等を詳細に報告した。

<IWJ・中埜>

番組の動画を見る


IWJ特集 「福島第一原発 入構取材」 http://220f1.iwj-beta.com/ (2012年3月3日閲覧)(一部抜粋)

入構取材に合わせ、IWJはいわき市から特別番組を放送した。司会進行は前田真里氏、IWJ・佐々木隼也。

日隅一雄氏、木野龍逸氏をゲストに招いた第1部では、東電会見をはじめとしたこれまでの原発報道の経緯からその問題点まで、原発をめぐるジャーナリズムを多角的に解説。第2部からは取材を終えた岩上と古田が合流、取材映像の配信を交えながら構内の様子をレポートした。

古田は「自分と変わらない年齢の作業員もいたが、彼らに高線量の中で仕事をしているという緊張感が感じられなかった。その状況が普通、日常化してい る様子だった」、岩上は「目に見えない線量より、マスクの息苦しさの方が身に迫る。敷地内を離れれば美しい風景も広がる。住民の皆さんが帰りたいと考える のも無 理はないだろう」などと構内や敷地周辺の印象を語った。リサーチを担当した佐々木は「事前調査で不明だった点、あるいは視覚的に確認したい点、さまざま あったが、今回の映像から確かめられるものがほとんどなかった。非常に制約の多く、東電の情報公開の不十分さを改めて感じた」と振り返った。

―動画を見る。  

(ニコニコニュース)ニコニコ取材班が福島第1原発取材結果を報告 「ぜひノーカット放送を見てほしい」(2012.02.23 15:05) http://news.nicovideo.jp/watch/nw201817 (2012年3月3日閲覧)

東京電力は2012年2月20日、福島第1原発の敷地内の状況を報道陣に公開した。取材受け入れは2011年11月12日以来2回目で、今回初めてイン ターネットメディアの取材が許可され、ニコニコ動画とIWJ(岩上安身代表)が参加した。ニコニコ生放送では取材の模様をノーカットで録画放映し、同夜には、同行した七尾功記者と川合亮輔カメラマンの2人が映像を振り返りながら語る「ニコニコニュース取材班が報告~これが福島第一原発の現状だ!」を放送し た。この中で、七尾記者は「ぜひノーカット放送を見てほしい」と訴えた。

―つづきを読む


(朝日新聞)福島第一原発 変わり果てた姿 現地ルポ(2012年2月21日03時00分) http://digital.asahi.com/articles/TKY201202200694.html (2012年3月3日閲覧)(全文転載) 

写真・図版
20日に公開された福島第一原発の原子炉建屋(左から2、3、4号機)=福島県大熊町、代表撮影
写真・図版
建屋の壁が吹き飛んだ福島第一原発4号機では、作業する人の姿が見られた。中央の黄色い部分は原子炉格納容器の上部=20日午後、福島県大熊町、代表撮影
写真・図版
トラックの荷台に載せられた高台注水ポンプ=20日午前、福島県大熊町、代表撮影
写真・図版
原発敷地内での作業後、放射線の測定を受ける男性=20日午前、福島県大熊町、代表撮影
写真・図版
福島第一原発取材ルート

 東京電力福島第一原発が、昨年11月に続いて、報道陣に公開された。東日本大震災の津波による炉心溶融事故からまもなく1年。前回に比べると復旧が進んだ感はあるが、事故前の取材を経験した記者には、変わり果てた姿が改めて強く印象に残った。

2003年9月から06年3月まで、福島総局員として事故前の福島第一原発を何度も取材した。緑あふれる整然とした発電所だった。今回、事故後の発電所に初めて入った。ひっくり返った車が穴に落ち、道路が陥没し、崖が崩れて鉄塔がぐにゃりと曲がっていた。

報道陣がまず目にしたのは、事務本館横の駐車場の仮設の高台注水ポンプだ。原子炉を安定して冷やすための命綱。トラックの荷台に3台のポンプが置かれている。ポンプから直径7センチ余りの細い塩化ビニールの配管3本が道路脇に伸び、原子炉へと続く。

予備のポンプや緊急時の消防ポンプ車があるので大地震や津波が来ても、大丈夫だと東電は説明する。だが、配管のつなぎ目から、凍結で繰り返し水が漏れた。現場を見て何とも心もとない印象を受けた。

高台から坂道を下ると1号機の原子炉建屋が見える。春には土手に咲き乱れるツツジの赤が鮮やかだった場所には、津波で流されつぶれた大型タンクが道路脇 に置かれている。放射性物質の飛散防止剤の緑色が毒々しい。損傷が最も激しい3号機のタービン建屋そばの放射線量は毎時1500マイクロシーベルト。今回 取材した場所では最も高かった。3、4号機は屋根の鉄骨がむき出しになっている。大型クレーンによる、がれきの片付け作業が進む。

発電所が見渡せる高台でバスを降りた。事故後の発電所で報道陣が屋外に出たのは今回が初めて。爆発で吹き飛んだ4号機原子炉建屋5階で、複数の作業員が行き来するのが見える。鉄骨を切断する器具の火花がチカチカする。

汚染水処理で出た高レベルの放射性廃棄物の保管施設の建設も進み、多くの作業員や重機が構内を行き来していた。この日作業していたのは約3千人という。

再びバスに乗り込むと、放射能汚染水をためるタンク群が並ぶ一画に向かった。キキョウやヤマユリが自生し、絶滅危惧種のオオタカのほかヤマバト、キジな どがいた森は伐採され、汚染水をためる巨大なタンクの森に変わった。発電所内には1100本、約18万トン分の汚染水がためられるようになっている。溶け た燃料を冷やすことで出る汚染水が日に日に増えている。すでに7割余りが汚染水で埋まり、3月までにさらに4万トン分のタンクを増設する。

報道陣への公開は、経済産業省原子力安全・保安院が事故後初めて保安検査を実施するのに併せて実施された。この日は、保安検査官が汚染水処理施設の運転状況を確認した。

高橋毅発電所長は「2号機の温度計の故障ではご心配をかけたが、原子炉の状態は安定している。作業は廃炉に向けた燃料の取り出しという、新たな段階に入った。初めてのことで様々な課題があるが、みなで一丸となって取り組んでいく」と話した。

原発の敷地内にいたのは約4時間。積算の被曝(ひばく)量は71マイクロシーベルトだった。(坪谷英紀)

(転載終わり)

   

 

 



 


Wednesday, February 1, 2012

XII.6. 俳優・渡辺謙さんのダボス会議スピーチの報道-東京新聞は「原子力からの転換」、他は「絆」を強調

2012年1月25日、俳優の渡辺謙さんが、スイスで開かれた世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」でスピーチをした。その報道のいくつかを比べてみると、東京新聞がスピーチ全文を掲載、「渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える」という見出しで報じた。NHKをはじめテレビと日経新聞は「絆」を強調し、原発事故や原子力からの転換については全く触れていない。スポニチの記事を載せた毎日jp、サンケイスポーツの記事掲載のmsn産経ニュースは、ともに「絆」を強調しながらも、原発事故や再生エネルギーへの転換にも触れている。

だが、全文を掲載した東京新聞以外は、スピーチの中の、「国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ」という進歩史観への疑問や「度を超えた成長には無理を呼びます」という部分は全く無視している。まして、こうした発言が、ときに「金持ちクラブ」と揶揄される、エリートの集まりであるダボス会議でなされたことの皮肉に目をとめた報道は見かけなかった。

(東京新聞) 【渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文】 渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える(2012年1月26日) http://www.tokyo-np.co.jp/feature/news/davos.html(2012年1月26日閲覧)(全文転載)

スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。
渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。

スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。
スピーチ全文は次の通り。

初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉 じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在 しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川 で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あま り、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊か さは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしま いました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が 人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だった のです。

「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている 人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。 絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に 頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今まで と違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの 「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

(転載終わり)

(NHKニュース) 渡辺謙さん ダボス会議で絆を訴え1月26日 6時4分) http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120126/t10015540341000.html (2012年1月26日閲覧)(全文転載)

世界各国の政治や経済界のリーダーが一堂に会する「ダボス会議」がスイスで開幕し、東日本大震災の被災地で支援活動を続ける俳優の渡辺謙さんが、被災地で学んだ、支え合って生きていく「絆」の大切さを訴えました。

ダ ボス会議は、スイス東部のダボスで毎年開かれるもので、各国の政治指導者や企業経営者などが国境 を越えた課題について意見を交わす場となっています。ことしは、ヨーロッパの信用不安への対応が中心的な議題で、25日、開幕のあいさつに立ったドイツの メルケル首相は、「危機は今なお続いているが、ヨーロッパは今後、財政面の統合をより深め、競争力をつけ、雇用を生み出していく」と述べ、各国が結束して信用不安の払拭(ふっしょく)に取り組む決意を示しました。また、会議には東日本大震災の被災地で支援活動を続ける俳優の渡辺謙さんも特別ゲストとして招待されました。俳優として海外でも活躍する渡辺さんは、被災地を繰り返し訪れるとともに、ハリウッドスターにも呼びかけて被災者を励ますためのインター ネットのサイトを立ち上げています。渡辺さんはスピーチの中で、「被災地の人たちは震災で多くのものを失いました。しかし、そこには人が人を救い、支え合 い、寄り添う行為がありました」と述べて、世界で起きるさまざまな危機に立ち向かっていくためには、人々の「絆」が大切だと訴えました。26日には、震災 から1年に向けて渡辺さん自身が被災地での復興の動きを取材し、NHKが共同制作に参加したドキュメンタリーがダボス市内で上映されることになっていま す。

(転載終わり)

(日経新聞)俳優の渡辺謙さん、絆の大切さ訴え ダボス会議 (2012/1/25 21:51) http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E0E7E2E69B8DE0E7E2E3E0E2E3E09180EAE2E2E2 (2012年1月26日閲覧)(全文転載)

【ダボス(スイス東部)=藤田剛】25日に開幕した世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、俳優の渡辺謙さん(52)が東日本大震災 について講演し、「絆」の大切さを訴えた。終了後、渡辺さんは「競争一辺倒ではなく、もっと穏やかな新しい価値観を作り出す必要があると話した。世界各国の出席者が同じような感覚を持っていた」と手応えを語った。
ダボス会議は世界各国の政官財のリーダーが集まり、国際的な問題について討議する場。渡辺さんは「少し場違いかと思ったが、大震災を経験した日本は今こそ何かを発信すべきと考えた」と参加の理由を説明した。日本の俳優が同会議で講演するのは初めて。
東日本大震災は今年の会議の主要テーマの一つで、26日には菅直人前首相が震災や福島第1原子力発電所の事故について講演する。

(転載終わり)

(毎日jp/スポニチ)渡辺謙:日本芸能人初 ダボス会議で「絆」スピーチ(2012年1月26日) http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20120126spn00m200008000c.html (2012年2月1日閲覧)(全文転載)

 スイスのシンクタンク、世界経済フォーラム(WEF)の42回目の年次総会(ダボス会議)が25日、同国東部のダボスで開幕した。俳優の渡辺謙 (52)が日本の芸能人として初参加し、主要議題の一つである東日本大震災について英語でスピーチ。世界中からの支援に感謝するとともに、「行き場を失っ た人々に残ったのは“絆”という文化だった」と強調した。

「多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命をのみ込み、生活の全てを流し去ってしまいました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかしそこには人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それは私たちが持っていた“絆”という文化だったのです」

ジャケット姿の渡辺は力強い口調。「絆は、全てが流れ去ってしまった荒野に残された光でした。今日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その絆 を頼りに前進しようともがいています」と聴衆に語りかけた。また、東北出身の詩人、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英語で朗読。大きな拍手を浴びた。

共同電によると、被災者を励ますために国内外の著名人から寄せられたメッセージを配信する動画サイト「kizuna311」を共同で立ち上げるな どの活動が評価され、会議参加に推薦された。95年の阪神大震災時は急性骨髄性白血病のため十分な支援活動ができなかったため、東日本大震災の支援には人 一倍強い思いで臨んでいる。すでに約40カ所の被災地を訪問。ダボス会議に参加が決定した際には「日本の現状を世界にプレゼンする絶好の場。インターナ ショナルなスピーチで、今の東北や日本の姿を世界に広めたい」と意気込んでいた。

福島第1原発事故にも言及。「原子力という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きていく恐怖を味わった今、再生可能エネルギーに大きくかじを切らなければ、子供たちに未来を手渡すことはできないと感じています」と訴えた。

スピーチ後には記者会見。「被災地では人間として何をするべきかという観点で活動を始めた」と説明。「被災地の、日本のありさまを世界に発信したかった」と、ダボス会議参加の目的が果たせ、晴れやかな表情だった。

▽ダボス会議 世界経済フォーラムの会員企業1000社のCEOのほか、選出された政治家、学会やNGOの代表者、宗教指導者らが一堂に会し、世界のあらゆる重要議題について討議する場。招待者のみが参加できる。過去には、エイズ撲滅やアフリカ支援に積極的なアイルランドのロックバンド「U2」の ボーカリスト、ボノ(51)が参加した。
29日までの期間中、ギリシャやイタリアの財政危機問題や、イラン、北朝鮮の核問題など約250の会合が予定され、約40カ国の首脳を含め政財界、文化人ら2600人以上が議論。26日には菅直人前首相が震災時の対応などについて報告する。(スポニチ)
(転載終わり)

(msn産経ニュース/サンケイスポーツ)渡辺謙、ダボス会議で“絆”訴え「人が人を救い、寄り添う行為」
2012.1.26 09:17 (1/2ページ)http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120126/ent12012609180003-n1.htm(2012年1月26日閲覧) 

25日、スイスのダボス会議の会合に出席した渡辺謙(AP)
25日、スイスのダボス会議の会合に出席した渡辺謙(AP)

俳優、渡辺謙(52)がスイス・ダボスで25日に開幕した世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)に出席、東日本大震災についてス ピーチした。世界中の政財界トップらが集まる同会議で、日本の俳優がスピーチを行うのは初めて。「人と人の絆は、すべてが流された荒野に残された光だっ た」と、国際派俳優らしく流ちょうな英語で「絆」の大切さを切々と訴えた。(サンケイスポーツ)

各国の政府首脳、企業トップ、学識経験者、文化人、ジャーナリストらが集まり、地球規模のさまざまな課題について議論し合うダボス会議に、“ラスト・サムライ”が乗り込んだ。

渡辺はダボス会議が開幕した25日午前(日本時間同日夜)、「誰にでもできること、それは思いやり」と題する会合に出席。昨年3月11日に発生した東日本大震災について演説に立った。

「人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。人が人を救い、支え、寄り添う行為。それは私たちが持っていた『絆』という文化だったのです」

震災発生から4日後の3月15日に被災地支援プロジェクト「kizuna311」を設立。何度も被災地入りするなど積極的に支援活動を行ってきた渡辺らし く、「kizuna」の大切さを強調。「漢字では『半分の糸』と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっている、という意味です」とも説明した。

渡辺謙、ダボス会議で“絆”訴え「人が人を救い、寄り添う行為」
2012.1.26 09:17 (2/2ページ)
 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120126/ent12012609180003-n2.htm

25日、スイスのダボス会議の会合に出席した渡辺謙(AP)
25日、スイスのダボス会議の会合に出席した渡辺謙(AP)

「今、日本は震災や津波の傷を癒やし、その絆を頼りに前進しようともがいています」と報告。「シンプルでつつましい、新しい『幸福』を創造」する 必要性を説き、東京電力福島第1原発事故に言及しながら、「再生可能エネルギーに大きくかじを切らなければ、子どもたちに未来を手渡すことはできない」と も訴えかけた。

会合の最後には、宮沢賢治作「雨ニモマケズ」を英語で朗読。「kizuna311」のサイト上で、被災者を励ますために渡辺が朗読する映像をアップさせて話題となった詩に、出席者も静かに耳を傾けた。

26日には市内の劇場で主演映画「はやぶさ 遥かなる帰還」(瀧本智行監督、2月11日公開)のダイジェスト版上映会に出席予定。各国要人と肩を並べた渡辺の訴えは、世界中に届きそうだ。


 (転載終わり)  


(スポーツ報知)渡辺謙「新しい日本見せたい」…ダボス会議で魂のスピーチ(2012/1/26-06:01)http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120126-OHT1T00015.htm (2012月2月1日閲覧)(全文転載)

俳優の渡辺謙(52)が25日、スイス東部のダボスで開催された世界経済フォーラム(WEF)の42回目の年次総会「ダボス会議」でスピーチした。今年は東日本大震災が主要議題。自らの思いを流ちょうな英語で披露した。過去に人気ロックグループ「U2」のボノ、米女優シャロン・ストーンらが参加したことで知られる。日本の芸能人がスピーチを行うのは初めて。

渡辺のダボス会議への参加は、日本の芸能人としては初めてのこと。約50人を前に堂々とスピーチし、最後に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英訳で読んだ。終了後の会見では「競争ばかりでなく、もっと穏やかな新しい価値観を作り出す必要がある。各国の出席者も同じ感覚だった」などと語り、大きな手応えを感じていたという。

また「被災地では人間として何をするべきかという観点で活動を始めた」と説明。「被災地の日本の有り様を世界に発信したかった」と参加した意義を強調。渡辺は昨年4月から被災地22か所で被災者約3000人と面会してきた。

同会議では、26日に菅直人前首相が震災時の対応などについて報告する予定。29日までの期間中、約250の会合が予定され、約40か国の首脳を 含め政財界、文化人ら2600人以上が議論。26日には、現地の劇場で新作の主演映画「はやぶさ 遥かなる帰還」(2月11日公開)を海外マスコミと VIPを招待して特別上映する予定。

◆ダボス会議 スイスのジュネーブに本部を置くシンクタンク「世界経済フォーラム(WEF)」が毎年1月、スイス東部のリゾート地・ダボスで開催する年次総会のこと。世界的に活躍する政治、経済、文化など各界のリーダーたちが一堂に会し、地球規模のさまざまな問題について話し合う。

[2012/1/26-06:01 スポーツ報知]
(転載終わり)

(日テレ)渡辺謙さん、ダボス会議で東日本大震災語る(2012年1月26日 20:59) http://news24.jp/articles/2012/01/26/10198906.html#(2012年2月1日閲覧)(全文転載)

スイス・ダボスで日本時間25日に開幕した世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)で、俳優・渡辺謙さん(52)がスピーチし、東日本大震災について話した。世界各国の政財界のリーダーが参加するこの会議で、日本の俳優がスピーチを行うのは初めて。
また、その後の記者会見では「今の被災地、日本の有り様を世界に知っていただく機会としては、とても大事なことだと思っています」と述べた。その上で、 「日本だけでなくて、海外からも絆があることによって、たくさんのサポート・メッセージにご協力がいただけたと思っている。(その絆を)どう発展させてい けばいいのかを、今の現実的な社会の中で考えていきたい」と、被災地支援をしていく中で感じた「絆」について語った。
(転載終わり)

(tv asahi)渡辺謙さんがダボス会議で“被災地”の現状語る(01/26 05:50)
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220126006.html (2012年2月1日閲覧)
(全文転載)

スイスで開かれているダボス会議=世界経済フォーラムの年次総会で、俳優の渡辺謙さんがスピーチを行い、東日本大震災の被災地の現状などについて話しました。

渡辺謙さん:「そこに住んでいる方の意思はどこにあるのかというのが一番大事なこと」「全体の大きな復興とそれをリンクさせていくのかが大事なこと」

渡辺さんは、招待を受けてダボス会議に出席しました。会議では、震災について語り、ボランティア活動で数多くの避難所を訪れ、俳優として何ができるのか悩 んだことを明かしました。また、「行き場を失った人々に残ったのは、人が人を救い、支え、寄り添う『絆』という文化だった」と述べ、支援を通じて経験した 「絆」を世界に広げたいと訴えました。約40カ国の首脳らが参加するこの会議は、29日まで行われる予定で、日本からは菅直人前総理大臣が野田総理大臣の 代理として出席します。
(転載終わり)