Thursday, May 31, 2012

XIII.18.「原子力行政を問い直す宗教者の会」が福井県に大飯原発再稼動反対要請(5月30日)

2012年5月30日、「原子力行政を問い直す宗教者の会」が福井県に対し、大飯原発再稼動に反対する緊急申し入れを行った。 

大飯原発再稼働問題が、「経済(雇用や電力需給も含む)や技術的(安全性)な視点だけで議論されていることに怒りと悲しみをもって諫言いたします」。

原発問題は軍事問題(核兵器との関係性)であること、そして、被曝(労働者・住民)の悲しみを本質としていること」を、1993年の会結成以来訴えてきた宗教者たちは、<いのち>の視点から、(1)フクシマ原発震災の悲しみを共有すること、と(2)原発稼働は被曝(労働者・住民)が前提となる愚かさに目を覚ますこと、の二点を福井県知事に要請した。

1分間の黙祷と要請文読み上げの後、福島の僧侶、青森県の牧師、福井県高浜町の尼僧などが、それぞれの立場から意見を述べた。

【動画】【大飯原発再稼働反対】宗教者による福井県庁での要請

2012年5月30日、「原子力行政を問い直す宗教者の会」による福井県への緊急申し入れが行われました。福井県庁に様々な宗教関係者約100名が集合。仏教各宗派、ネパール仏教、キリスト教、イスラム教など、宗教の枠を超えて脱原発で協力し、福井県知事 への要請を行おうとしました。が、知事は顔を見せず、代わりに県原子力当局の課長が出席しました。
broadcast by @naasansan 


6月2日投稿こちらに、動画の内容書き起こしがあります。(みんな楽しくHappy♡がいい♪)
 

「原子力行政を問い直す宗教者の会」HP http://gts.mukakumuhei.net/


「大飯原発再稼動反対の要望書(案)」
 http://gts.mukakumuhei.net/advocacy.htm#201205againstoirestart

 2012年5月30日
福井県知事 西川一誠様
原子力行政を問い直す宗教者の会


福井県世話人



中嶌哲演(真言宗御室派)
岡山巧(真宗大谷派)
西條由紀夫(日本バプテスト連盟)


代表世話人(事務局)
 長田浩昭(真宗大谷派)
大河内秀人(浄土宗)
内藤新吾(日本福音ルーテル教会)
大飯原発再稼働に反対する要望書
今、大飯原発再稼働問題について、経済(雇用や電力需給も含む)や技術的(安全性)な視点だけで議論されていることに怒りと悲しみをもって諫言いたします。

私たちは1993年の会結成以来、原発問題は軍事問題(核兵器との関係性)であること、そして、被曝(労働者・住民)の悲しみを本質としていることを訴 えてまいりました。また、先月17~18日、「2012フクシマ全国集会」(テーマ:今、フクシマにて共に悩む―怒りと悲しみの<こえ>に呼び覚まされて ―/会場:福島市コラッセ福島)を開催し、別紙のアピールをまとめ、翌19日に福島県と日本政府に要望を伝えました。
これらを踏まえ、真実を問い続ける宗教者として<いのち>に立って、大飯原発の再稼働に反対し、以下2点を要望いたします。
1、フクシマ原発震災の悲しみを共有すること
フクシマ原発震災は想定されていた地震(津波)であり、想定されていた事故でした。私たちは、生きとし生けるものや、大地・空・海を被曝させた罪を懺悔し、再びこの痛ましい出来事を繰り返さないために全国から集まりました。
当会のメンバーを含めて福井県内にも福島から避難されている方がおられます。3.11以降の苦難の話をお聞きすると胸が痛みます。ところが、フクシマか ら怒りと悲しみの<こえ>が発せられているにもかかわらず、国は未だにこれまでの原子力政策そのものの過ちを認めることなく、真の謝罪さえもありません。 それどころか、経済原理に立って大飯原発の再稼働へと突き進んでおります。こうしたフクシマへの無反省・無感覚は、<いのち>の尊厳を見失っていると言わ ざるをえません。
知事は、国の意向の伝達者となることなく、住民の<いのち>の叫びを丁寧に丁寧に聞きとり、国の原子力政策の見直しを求めること。

2、原発稼働は被曝(労働者・住民)が前提となる愚かさに目を覚ますこと
私たちは、先の戦争責任を問うことを通して同じ国策である原発問題を明らかにしてまいりました。国家を強大にするために、絶対化された神話のもとで武力に よって<いのち>を傷つけたのが戦争です。情報操作によって真実を閉ざし、国民に我慢と忍耐を強要しました。原発問題はこの歴史に重なる迷いの構造を抱え ております。
つまり、この半世紀、国は原子力という新たな力をもって、強大な国家を目指そうとしました。そして、「安全神話」と「必要神話」という二つの神話をたれ 流すことによって、私たちは「安全でないのに安全」「必要でないのに必要」だと思い込まされてきたのです。その結果、弱い立場の人々や自然環境に負担と犠 牲が押しつけられ、被曝(労働者被曝、住民被曝)の悲しみは覆い隠されました。
フクシマを経験した今、原発の稼働は、被曝が前提となる愚かさに目を覚ます時が来ています。その被曝を、飛行機や喫煙のリスクと同列に評価することはで きません。なぜならば、そこに選択の自由はなく、一方的に受忍を強いられるからです。その痛み、<いのち>の叫びは、戦争で犠牲になった人々の声なき<こ え>でもあります。
大飯原発再稼働は<いのち>の道理に背き、愚行以外のなにものでもないことを深く自覚すること。 
以上


【関連リンク】

福島と全国の女たちが経産省前で座り込み
経産省前テントひろば

(田中利幸・広島市立大平和研究所教授)日米政府による原発推進と核兵器政策は最初から表裏一体のものであった: 田中利幸バンクーバー講演録(April 08, 2012) http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/04/blog-post_08.html


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